俳句集団【itak】第27回句会評②
2016年9月10日
橋本喜夫(雪華、銀化)
古戦場訪へば一村蟲しぐれ 吉村 佳峰
「一村」 「蟲しぐれ」のつながりがよい。まるで一村すべてが虫時雨のかたまりであるかのように読める。とてもよい。古戦場もすごくよい。しかし 「古戦場訪ふ一村の蟲しぐれ」として中七の真ん中で切れをいれるともっとよくなると思いませんか。この場合の「訪へば」がこの句を弱くしていると思う。
落蝉や跨線橋の一段目 斎藤 嫩子
「落ち蝉」が跨線橋の一段目に落ちているただそれだけを詠んでいるが、やはりモノで表現しているので句に力がある感じ。惜しむらくは中七が字足らずなこと。字足らず感はあまりないというひともいるが、一段目の措辞があっさりなので私はすぐ気づいた。座五がくどいくらいの言葉かインパクトがあれば、中六も疵にはならないと思うが・・・意に沿わないと思うが私なら「落蝉がゐる二段目の跨線橋」などとするが、これは好みだと思う。中六、中八に名句なしということだけは押さえておきたい。
野分して放浪癖の牛舎かな 頑黒 和尚
おもわずとった。しかし少し毒があるなとも思った。野分で飛ばされ、流されて牛舎がどこかへ行ってしまって、それを「放浪癖」としたのであろう。俳句的な発想だと野分の方が放浪癖があると思うかもしれない。ただ牛舎がさまよっている景を想像すると絶対こっちの方がよいのだ。まるで東日本大震災で置き去りにされた牛たちみたいで。。。。より俳句的に表現するのであれば 「野分して
牛舎みづから放浪す」 などとなるのであろうか。いずれにしても発想が佳い。
栗の毬嫌ひ嫌ひと言はれたし 大原 智也
中七以下のせっかくのフレーズが上五で 「栗の毬」 という刺せば痛い「いがいが」で嫌われるものとして強調しすぎたので面白味が半減した感じもある。「毬栗や」でよかったのではと思う。それとも中七のせっかくのフレーズを活かすような違う季語でもいいかも。アンビバレンスなものを持ってくるとか。。
白桃は沈む寂しいとは言わず 瀬戸優理子
「寂しいとは言わず」 のフレーズは良いと思った。この句を採ったひとは白桃は沈むをオッケーと思えば採るし、オッケーと思わなければその下のフレーズは好きなんだけど 採れないと思うであろう。私は「沈む」が残念だと思った。沈む→寂しいが 繋がってしまう、予定調和的に。。。
「一村」 「蟲しぐれ」のつながりがよい。まるで一村すべてが虫時雨のかたまりであるかのように読める。とてもよい。古戦場もすごくよい。しかし 「古戦場訪ふ一村の蟲しぐれ」として中七の真ん中で切れをいれるともっとよくなると思いませんか。この場合の「訪へば」がこの句を弱くしていると思う。
落蝉や跨線橋の一段目 斎藤 嫩子
「落ち蝉」が跨線橋の一段目に落ちているただそれだけを詠んでいるが、やはりモノで表現しているので句に力がある感じ。惜しむらくは中七が字足らずなこと。字足らず感はあまりないというひともいるが、一段目の措辞があっさりなので私はすぐ気づいた。座五がくどいくらいの言葉かインパクトがあれば、中六も疵にはならないと思うが・・・意に沿わないと思うが私なら「落蝉がゐる二段目の跨線橋」などとするが、これは好みだと思う。中六、中八に名句なしということだけは押さえておきたい。
野分して放浪癖の牛舎かな 頑黒 和尚
おもわずとった。しかし少し毒があるなとも思った。野分で飛ばされ、流されて牛舎がどこかへ行ってしまって、それを「放浪癖」としたのであろう。俳句的な発想だと野分の方が放浪癖があると思うかもしれない。ただ牛舎がさまよっている景を想像すると絶対こっちの方がよいのだ。まるで東日本大震災で置き去りにされた牛たちみたいで。。。。より俳句的に表現するのであれば 「野分して
牛舎みづから放浪す」 などとなるのであろうか。いずれにしても発想が佳い。
栗の毬嫌ひ嫌ひと言はれたし 大原 智也
中七以下のせっかくのフレーズが上五で 「栗の毬」 という刺せば痛い「いがいが」で嫌われるものとして強調しすぎたので面白味が半減した感じもある。「毬栗や」でよかったのではと思う。それとも中七のせっかくのフレーズを活かすような違う季語でもいいかも。アンビバレンスなものを持ってくるとか。。
白桃は沈む寂しいとは言わず 瀬戸優理子
「寂しいとは言わず」 のフレーズは良いと思った。この句を採ったひとは白桃は沈むをオッケーと思えば採るし、オッケーと思わなければその下のフレーズは好きなんだけど 採れないと思うであろう。私は「沈む」が残念だと思った。沈む→寂しいが 繋がってしまう、予定調和的に。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿