「イタック」とはアイヌ語で「言葉」の意味。北海道の俳句状況を俳句そのものの力でもっと面白いものにしようという集団の ブログです。
「汐時の…」 桐一葉を「桐」と「一葉」に分けて使っているところが洒落ている。「汐時」という措辞も巧いと思います。「スタッカートの…」 なぜか切れ切れに舗装の上を流れる雪解水。それを「スタッカート」という音楽用語で表現したことに惹かれました。「とくダネ」「年玉」は俗すぎるように感じました。
「汐時の」の句。桐一葉を分解するのは俳句のルール的な疑問があります。昔、アニメのシーンで「あの葉が散った時、私も死ぬ」という台詞があったので、そのシーンを素直に書いてみました。「スタッカートの」の句。この句を作る前に『ポリリズム田中』が有名になったので、音楽用語を用いた句を作ってみました。情景は早朝の静かな裏路地。静か過ぎるから、水がポタポタ落ちる音がよく聞こえるという感じ(実話)。「とくダネ」「年玉」はぱっと見、普通の句です。しかし「年玉」の句は子供の夢がギッシリ詰った句だと私は思います。コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
「境内に」の句、神社の境内で、若い巫女さんが焼き芋を焼いているという、ほほえましい光景が目に浮かびます。また、巫女さんがその装束のまま、焼き芋にかぶりついているところも想像出来、「聖なるもの」と「俗」との対比、あるいは、「聖なるもの」に潜んでいる「俗」がとても面白いと思いました。「黄昏や」の句、一面の菜の花畑、折しも夕風が吹いてきて、黄色の海に波が立っている。それも、少し強い風なのでしょうか。一面の菜の花が大きく揺れている景を「波高し」としたところが魅力的だと思いました。菜の花の黄色は、どこか切ない黄色です。
「境内に」の句。ある意味読み手側の勝ちですね。「聖なるもの」と「俗」との対比は作った当時は気付きませんでした。「巫女は落ち葉を掃くが、芋を焼かせてみるのはなかなか面白いのでは?」と思った句です。「黄昏や」の句。この句は石狩支部文芸コンクールで佳作を頂いたものです。一言でいうと、強さの中に切なさの感じる句というのを感じて頂きたかった。ある意味、私そのものを表現しているとも言える。かをりさんに全く同じ解釈をして頂けて嬉しいです。コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
カザマックスです!先輩のほうにもコメントを残していきたいと思います。まず、「黄昏や」の句。この句は部内の句会でも評判をよんだ作品ですね。「黄昏」と「菜の花畑」で情景が浮かび上がります。黄昏の中、菜の花に風が吹くことでどこか儚げというか、切ないものを感じました。次に、「鳴かずとも」の句。一見、当たり前のことを詠んでいるように思えますが、その当たり前のことが強調されると意表を突かれたような感覚になります。新しいようで、驚きを持って味わえる。そんな句だと僕は思います。最後に「『とくダネ!』や」の句。とてもインパクトの句だと思います。ただ、『とくダネ!』の「や」。ここの切れ字が少し強すぎるようにも感じました。季語である「生姜湯」が少し霞んで見えてしまいました……。
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「鳴かずとも」の句。本当にちっぽけな句なんですが、自分で詠んでみても意表を突かれた感覚になるのだ。三大戦国武将が詠んだホトトギスの句にも似ている気もする。「『とくダネ!』や」の句。この句って、最初はすごいと錯覚するが、詠み慣れるとつまらない句に感じてくる今日この頃。私自身作ってて、「や」という切れ字が不満だ。カザマックス君。お前は本当に成長した! 作る方も鑑賞する方も良いところを突くようになった。今後も【itak】に参加してより高みを目指して下さい。
「スタッカート」の句、本日ここは晴天でリアルに今聞こえています。これから訪れるワクワクしたリズムは心地いいですね。「鳴かずとも」の句、私はこの句力みがなくて好きです。日常の「あるある」です。「年玉」の句は「三が日」を他の表現にしてみてもいいいかもと思いました。近い将来、、、諭吉が集まってくる時期はあっという間に過ぎてしまいますね(笑)
「スタッカート」の句。こちらも晴れてますよ~。この句作った時も晴天で春を感じさせる時期でした。いや~、早く春にならんかな(笑)「鳴かずとも」の句。結構待ったりしてるの句なので、お茶のお供にいいかもしれませんね。「年玉」の句。年をとるのも早いもので・・・。後、1ヵ月半で社会人です。諭吉が恋しくなる時期もそろそろ終わります。そう考えると、高校生だから感じ取れた句なのかなと思いました。コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
どんどんこういう句を作っていってください。句の上手下手、出来不出来ではなく、「俳」な野郎としてバリバリ生きていくぜというパワーと覚悟を示していったら、それで充分です。そういう生き方もあります。テレビを視て、ガンガン作ったらいいです☆とうふ
先日頂いた句集を拝見しました。とうふさんとは先日お会いしましたが、只者ではないオーラが感じましたよ。それが、俳句にも現れていて何とも趣のある句が沢山ありました。やはり、数をこなす事が重要ですね。私は俳句は辞めないので、これからも良い句が書ければと思います。
スタッカートの音を奏でし雪解水確かに切れが良く、あの音はスタッカートです。鳴かずとも鶯餅の粉は飛ぶ鶯餅は何もしなくても粉が零れます。<鳴かずとも>とは見たことのない鶯餅の句に、思わず納得しました。
「鳴かずとも」の句。鶯という鳥に皮肉を詠んでみた句でもあります。この句に注目した方は普通のことを強調して詠まれると「あっ!」っと思うようですね。実際に歳時記を見てもこのような感じで詠んだ鶯餅は無いと思います。
スタッカートの音を奏でし雪解水 屋根から落ちる音かしら。 雪解けの頃は、あちこちで水音を感じますよね。
汐時の散りゆく桐か一葉かな いいのだが、「か」も「かな」も切れ字なので不可。一葉なりくらいでごまかす境内に芋焼く煙若き巫女 これはこれでいいスタッカートの音を奏でし雪解水 音奏でるがダブル。流るる くらいでいいか黄昏や菜の花畑の波高し これはこれでいい。畑が少しじゃま。菜の花の波堆し(うずたかし)では鳴かずとも鶯餅の粉は飛ぶ これはこれで面白い、鳴かずともが少しネタバレしているが赤とんぼ象の如雨露で羽やすめ これでいいが 羽濡らすのほうが残酷でいい『とくダネ!』や湯飲み片手の生姜湯か 「や」でなくて「を」でいいのでは麻痺の頬毛糸手袋当てている これはこれでいいロックンロール聖夜の闇に消ゆるとき 夜と闇がダブル。聖夜に吸われゆくときも くらいでいい年玉や諭吉集めの三が日 諭吉集めがネタバレしてる。 資金あつめるとか年金あつめの方がどぎつくていい (※事務局註:俳句甲子園に勝つための添削を頂きましたので事務局が代理で投稿しました)
「汐時の…」 桐一葉を「桐」と「一葉」に分けて使っているところが洒落ている。「汐時」という措辞も巧いと思います。
返信削除「スタッカートの…」 なぜか切れ切れに舗装の上を流れる雪解水。それを「スタッカート」という音楽用語で表現したことに惹かれました。
「とくダネ」「年玉」は俗すぎるように感じました。
「汐時の」の句。桐一葉を分解するのは俳句のルール的な疑問があります。昔、アニメのシーンで「あの葉が散った時、私も死ぬ」という台詞があったので、そのシーンを素直に書いてみました。
削除「スタッカートの」の句。この句を作る前に『ポリリズム田中』が有名になったので、音楽用語を用いた句を作ってみました。情景は早朝の静かな裏路地。静か過ぎるから、水がポタポタ落ちる音がよく聞こえるという感じ(実話)。
「とくダネ」「年玉」はぱっと見、普通の句です。しかし「年玉」の句は子供の夢がギッシリ詰った句だと私は思います。
コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
「境内に」の句、神社の境内で、若い巫女さんが焼き芋を焼いているという、ほほえましい光景が目に浮かびます。また、巫女さんがその装束のまま、焼き芋にかぶりついているところも想像出来、「聖なるもの」と「俗」との対比、あるいは、「聖なるもの」に潜んでいる「俗」がとても面白いと思いました。
返信削除「黄昏や」の句、一面の菜の花畑、折しも夕風が吹いてきて、黄色の海に波が立っている。それも、少し強い風なのでしょうか。一面の菜の花が大きく揺れている景を「波高し」としたところが魅力的だと思いました。菜の花の黄色は、どこか切ない黄色です。
「境内に」の句。ある意味読み手側の勝ちですね。「聖なるもの」と「俗」との対比は作った当時は気付きませんでした。「巫女は落ち葉を掃くが、芋を焼かせてみるのはなかなか面白いのでは?」と思った句です。
削除「黄昏や」の句。この句は石狩支部文芸コンクールで佳作を頂いたものです。一言でいうと、強さの中に切なさの感じる句というのを感じて頂きたかった。ある意味、私そのものを表現しているとも言える。かをりさんに全く同じ解釈をして頂けて嬉しいです。
コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
カザマックスです!先輩のほうにもコメントを残していきたいと思います。
返信削除まず、「黄昏や」の句。この句は部内の句会でも評判をよんだ作品ですね。
「黄昏」と「菜の花畑」で情景が浮かび上がります。
黄昏の中、菜の花に風が吹くことでどこか儚げというか、切ないものを感じました。
次に、「鳴かずとも」の句。一見、当たり前のことを詠んでいるように思えますが、
その当たり前のことが強調されると意表を突かれたような感覚になります。
新しいようで、驚きを持って味わえる。そんな句だと僕は思います。
最後に「『とくダネ!』や」の句。とてもインパクトの句だと思います。
ただ、『とくダネ!』の「や」。ここの切れ字が少し強すぎるようにも感じました。
季語である「生姜湯」が少し霞んで見えてしまいました……。
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削除「鳴かずとも」の句。本当にちっぽけな句なんですが、自分で詠んでみても意表を突かれた感覚になるのだ。三大戦国武将が詠んだホトトギスの句にも似ている気もする。
削除「『とくダネ!』や」の句。この句って、最初はすごいと錯覚するが、詠み慣れるとつまらない句に感じてくる今日この頃。私自身作ってて、「や」という切れ字が不満だ。
カザマックス君。お前は本当に成長した! 作る方も鑑賞する方も良いところを突くようになった。今後も【itak】に参加してより高みを目指して下さい。
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返信削除「スタッカート」の句、本日ここは晴天でリアルに今聞こえています。これから訪れるワクワクしたリズムは心地いいですね。「鳴かずとも」の句、私はこの句力みがなくて好きです。日常の「あるある」です。「年玉」の句は「三が日」を他の表現にしてみてもいいいかもと思いました。近い将来、、、諭吉が集まってくる時期はあっという間に過ぎてしまいますね(笑)
返信削除「スタッカート」の句。こちらも晴れてますよ~。この句作った時も晴天で春を感じさせる時期でした。いや~、早く春にならんかな(笑)
削除「鳴かずとも」の句。結構待ったりしてるの句なので、お茶のお供にいいかもしれませんね。
「年玉」の句。年をとるのも早いもので・・・。後、1ヵ月半で社会人です。諭吉が恋しくなる時期もそろそろ終わります。そう考えると、高校生だから感じ取れた句なのかなと思いました。
コメントありがとうございました。このような機会がまたあれば、よろしくお願いします。
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返信削除どんどんこういう句を作っていってください。句の上手下手、出来不出来ではなく、「俳」な野郎としてバリバリ生きていくぜというパワーと覚悟を示していったら、それで充分です。そういう生き方もあります。
返信削除テレビを視て、ガンガン作ったらいいです☆
とうふ
先日頂いた句集を拝見しました。とうふさんとは先日お会いしましたが、只者ではないオーラが感じましたよ。それが、俳句にも現れていて何とも趣のある句が沢山ありました。
削除やはり、数をこなす事が重要ですね。私は俳句は辞めないので、これからも良い句が書ければと思います。
スタッカートの音を奏でし雪解水
返信削除確かに切れが良く、あの音はスタッカートです。
鳴かずとも鶯餅の粉は飛ぶ
鶯餅は何もしなくても粉が零れます。<鳴かずとも>とは
見たことのない鶯餅の句に、思わず納得しました。
「鳴かずとも」の句。鶯という鳥に皮肉を詠んでみた句でもあります。この句に注目した方は普通のことを強調して詠まれると「あっ!」っと思うようですね。実際に歳時記を見てもこのような感じで詠んだ鶯餅は無いと思います。
削除スタッカートの音を奏でし雪解水
返信削除屋根から落ちる音かしら。
雪解けの頃は、あちこちで水音を感じますよね。
汐時の散りゆく桐か一葉かな
返信削除いいのだが、「か」も「かな」も切れ字なので不可。一葉なりくらいでごまかす
境内に芋焼く煙若き巫女
これはこれでいい
スタッカートの音を奏でし雪解水
音奏でるがダブル。流るる くらいでいいか
黄昏や菜の花畑の波高し
これはこれでいい。畑が少しじゃま。菜の花の波堆し(うずたかし)では
鳴かずとも鶯餅の粉は飛ぶ
これはこれで面白い、鳴かずともが少しネタバレしているが
赤とんぼ象の如雨露で羽やすめ
これでいいが 羽濡らすのほうが残酷でいい
『とくダネ!』や湯飲み片手の生姜湯か
「や」でなくて「を」でいいのでは
麻痺の頬毛糸手袋当てている
これはこれでいい
ロックンロール聖夜の闇に消ゆるとき
夜と闇がダブル。聖夜に吸われゆくときも くらいでいい
年玉や諭吉集めの三が日
諭吉集めがネタバレしてる。
資金あつめるとか年金あつめの方がどぎつくていい
(※事務局註:俳句甲子園に勝つための添削を頂きましたので事務局が代理で投稿しました)