2013年7月28日
インタビュー『札幌戦後文化史を見てきた男』 を観て
~高畠葉子~
主催
トルタバトンテン
出演
インタビュイー:中森敏夫氏
インタビュアー:山田 航氏
インタビュイーの中森敏夫氏は会場であるギャラリー「テンポラリースペース」のオーナーである。
そしてインタビュアーは【itak】幹事でもある歌人の山田航氏。
山田航氏はこのテンポラリースペースにてこれまで幾度か自身の作品のイベントを開催し中森敏夫氏と交流があり中森氏の豊富な話題に魅せられての今回の企画となったとのこと。
インタビューは中森氏の少年時代から始まる。中森氏は札幌市の中心部駅前通生まれで「シティーボーイ」。この頃の思い出が興味深い。その中で今回のインタビューの中でも印象的であった話を挙げてみる。札幌時計台の話である。今では高層ビルに見下ろされているがゆえ「日本三大がっかり」とまで呼ばれているこの時計台を最初に見下ろしたビルが、札幌オリンピック前年に完成した札幌市役所本庁舎であるとのこと。かつては創成小学校があり、現在中島公園に移転された豊平館が並びそれはそれは美しかったという。「がっかり」と呼ばれる原因の最初が札幌市役所とは・・・。この札幌オリンピック前夜からバブル期の話はタイトルにある「札幌文化史」を語る上の骨格であるように思える。
中森氏は早稲田大学を経て家業である老舗花器店「中森花器店」を継がれた。札幌駅前から大通開発の中でビル化(パック化)され職と住が分断され人が住まない所となった。この事を中森氏は「生業(なりわい)」という言葉を引かれ暮らし・日常と職について語られた。ここにも中森氏の見てきた「札幌文化史」の骨格が見えてくる。
中森花器店は駅前通から円山へと移転され、ここから中森氏の大いなる活動の話に入ってゆく。今では高級住宅街と知られている円山であるがかつて「川の氾濫」があった事を知っているだろうか。当時「見えない川の氾濫」と呼ばれたという。つまり暗渠とされた円山の界川の氾濫である。この経験から中森氏は「川の始まりと終わり」というキーワードで話を進めた。
川の源を見、出口を見たい。
という中森氏の思いは古地図を元に暗渠を歩く「界川遊行」、石狩川河口での舞踏「大野一雄 みちゆき」(石狩の鼻曲がり)・詩人吉増剛造との交流と語られてゆく。また、花器店の主らしく庭の木々を「愛樹」と語るなど氏の語り口は滑らかだ。
この間会場であるテンポラリースペースには静かにバッハのピアノ曲が流れていた。つまりはBGM。耳の匂い消しと中森氏は語った。そしてアートは目の匂い消しだと氏は言う。
インタビュアーの山田航氏の札幌文化への期待は?の問いかけに中森氏はきっぱりと「自分でやる」と答えた。
インタビューの中で「カルチヴェートは足元を耕すこと」と語った中森氏。彼もまた耕す人なのだと思った。
さて我々の活動も文化である。そしてこの北の大地でイタック(アイヌ語で言葉の意)を紡ぐ者達である。この活動は生れたばかりであるがしっかりと足元を耕し、この北海道をとうとうと流れる川となってゆきたいと心新たに思うのである。
まぁ。堅苦しい事はさておき楽しみながら続けようではないか!
☆高畠葉子 (たかばたけ・ようこ 俳句集団【itak】幹事 弦同人)
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