『 やぶくすしハッシーが読む 』 (最終回)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
啓蟄の思はぬ足の速さかな 籬 朱子
前述の「蟻穴を出る」の句と相似形の内容を詠んでいるが より余白を拡げた作り。啓蟄のころ出てくる虫たちの思わぬ足の速さに驚いているととっても良いし、この時期の季節の足早さを詠んでいるかもしれないし、前を歩く人間たちの歩く足の速さかもしれない。二月が飛ぶように過ぎてすでに啓蟄という、多忙な日常に生きてゐる人間の「取り残された感覚」が可笑しくてすこし悲しい。
ジッパーをジュッと上げれば春の雷 綾
ジッパーのオノマトペとして「ジュッと」が気にいったこと。とりあわせの季語が春の月とか桃の花とかエロい系を選択せずに、春雷を選択したことが二つ目の美点。音を立てるということ以外にアナロジーはないが、「ジュッと=春の雷」とはるか遠くて響き合っている感じが好きである。
ひげ摘まれもやしかがやく日永かな 遠藤ゆき子
食用のもやし、おそらく(わからないが)豆類を光を当てずに芽が出るように水で栽培して育てるのかな。そして収穫時にはひげはおいしくないので、ひげを摘んで出荷するのであろう。光を当てないで光合成させないで育てたもやしを「かがやく」「日永」と光を当てた力技の俳句。素材として大変珍しいいので私には新鮮に映ったが、実際の句会で人気があったかどうかは不明。
硝子雛しまふ日溜りよりはづし 松田 ナツ
硝子細工の雛人形で小さいものであろう。それを窓辺に置いて、雛祭りがおわれば仕舞う。硝子の冷たさがなくてむしろ、作者は日の温みを感じたのであろう。ひなまつりの、あたたかい質感・肌感覚が伝わる句である。
◇
以上たいへん薄味で、申し訳ないがめまいの薬が効いているうちに終了する。次回は仕事が被る予定でしたが、1週間ずれましたの出席できそうですぞ。それではまた。
※俳句界には眩暈の方が割合多くいらっしゃいます。皆さんもどうぞご自愛ください。
喜夫さん、次回は句会報をよろしくおねがいします。(事務局J)。
『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その4)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
牡丹雪唇向けて避けられて 綾
けっこう悲しくておかしい句。上五で切れて読めば牡丹雪のふるなか、時は卒業シーズンであろうか、あこがれの先輩に唇を出してなにかをせがんだかもしれない。そこで避けられる。もちろん牡丹雪はサイズが大きいうえに、ひらひらとどこに落ちるかわからないので唇を突き出して牡丹雪に触れようとしたが、避けられるようにすり抜けていったのである。
かげろふや音叉身の透く音のして 遠藤ゆき子
音叉の振動が体を震わせて、身が透く感覚。すぐれた身体感覚だと思う。これが、かげろうのゆらゆらした身体感覚とアナロジーを感じたのであろう。十分に理解できる感覚だ。やはり「音」のダブりがこの句の瑕瑾であろう。「かげろうや音叉この身を透けゆくも」とかなんとか工夫してダブりは避けて欲しかった。
あめせんの水あめ舐る弥生かな 小笠原かほる
水は雪解け感覚として 弥生が佳いのではと思う。最近コンビニであめせん(塩せんべいに水飴を挟んだもの)が売っているのは私は嬉しくてときどき買っている。採れない人は「弥生」がどうか??と思ったのであろう。ベストではないがベターかと思う。
蟻穴を出でてキッチン爆走す 大友 包
「爆走す」がおおげさでとてもよくできている。キッチンも状況設定がうまい。蟻にとっては九秒台で走っているのであろうが、キッチンの端までたどり着くまでにつかまってしまうだろうな。私だったら 蟻が出たら殺します。
(最終回に続く)
『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その3)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
健忘を都忘れと差し替える 村元 幸明
健忘という病的な状態 と季語の「都忘れ」(植物)を言葉あそびとして捉えた秀品。季語の本意を無視した使い方はアンチ俳〇協会と見ました。健忘という状態の名詞と植物を差し替えることに違和感のある人は採れないだろうな。
占いが12位の朝猫の恋 韮澤 土竜
朝のテレビ番組でこぞって今日のラッキーパーソンということで、星座占いを紹介している。バッドな12番目の運のひとにはかならず対策や対応策が挙げられていて、それが「たとえば赤いものを食べる」とか、とっても適当なのがとっても面白い。ともあれ、カニ座がバッドな日に「めまい」が発症したので、あながち信用している自分がいる。この句、恋猫のうるさい声に朝の眠りを妨げられたのかもしれない。しかもバッドな一日とくれば詠みたかったのであろう。
妥協する但しそのあと花見する 高畠 霊人
なんだかとてもおかしい。たとえば労使交渉があるとする、労働者側が折れて労使交渉を妥協して終結させたあと、社長と従業員で花見へ行ったのである。このノウテンキな行為。社長を酔わせて髪の毛を毟ったりしたのかもしれない。「但し」がたいへん味を出している。
受験生桃の節句どころじゃない 天野 紗更
公立高校の試験日は私の頃40年以上まえから桃の節句とぶつかることが多い。まさにこの通りだ。季重なりではなく、これは受験生が主季語で とても真実をついた作品だ。「どころじゃない」が微妙にうまい。
(その4に続く)
『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その2)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
凍ゆるみ畦も呼吸をしたりけり 角田 萌
中七以下の措辞を生かすために、たとえば「雪解け」「斑雪」とかだと平凡。寒明けだとあまりに漠然としているし。凍てがゆるみ ゆるみ という言葉が、すべての生物や植物が呼吸を始める感覚が表現されていると思う。
冴え返る朝バス停に同じ顔 高橋なつみ
毎朝ばす通勤あるいはバス通学している人の自然な感覚かもしれない。韻文調を出すためと説明的な散文調を回避するために「冴え返る朝のバス停」と切るべきであろう。そのあと「同じ貌」とすればさらにクローズアップされて強調される。
誰も彼も通り過ぎてく弥生かな 大原 智也
弥生は陰暦三月なので本当は陽暦4月なのであるが、そういうどこかの主宰みたいにうるさいことは言わない。弥生は三月として年度末感覚でよいのである。こころある歳時記にも年度始めの感覚はないと はっきりと書いてある。したがって 中七までの お別れのフレーズが生きてくる。「通り過ぎたる」でなくて「通り過ぎてく」が若者感覚の言葉に近くてこの場合は成功していると思う。だって年寄りはすでに退職して年金をもらっているので、この感覚は起きないであろう。
恋猫の両者に名誉ある撤退 青山 酔鳴
これはいいですね「名誉ある撤退」のフレーズを最高に生かした状況設定と季語選択。かなりの手練れと見ました。あきらめてすごすごと帰宅する雄猫が浮かんでくる。両者が雌雄なのか、モテナイ雄二匹なのか、ぼかしてあるのが逆にこの句を面白くしている。
(その3に続く)
『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その1)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
抜けられぬ仕事があり、出れなかったがまたしても大量参加人数。御同慶の至りである。と他人行儀なあいさつをしました。目が回る忙しさと言うが、1週間前から良性発作性頭位眼振という「めまい」が生じて、けっこう困っている。根詰めてPCの前にもいられないので、いつもにも増して適当さが増強すること許して下さい。さっそく、気になった句に触れてみたい。めまい薬が効いているうちに・・・。
ろう梅のひとつふたつはイミテーション 鍛冶 美波
季語そのままじゃん と言うなかれ。蝋梅の嘘くさい光沢、蝋細工のような質感、ひとつふたつは の中七がうまいですぞ。「イミテーション」なんか昭和の匂いがする言葉。蝋梅の句を一応チェックしてみたが、ここまでどストライクにこの質感を言いとめた句はないようだ。
三月の木さてと翼を開こうか 信藤 詔子
「三月の木」というもってきかたが、坪内稔典チックではあるが。「さてと」が利いている。蕾の膨らみ、蕾の開花を翼として隠喩にしたのも良好と思う。
春一番ガソリン臭き路地に着く 五十嵐秀彦
春の明るい気分、すこし華やいだ気分をガソリン臭さに転じたのは、好き嫌いがあると思うが私は捻れた感覚が大好きです。風の季語なので、「吹く」と安易にいかないで「着く」としたのも良好と思う。
こぼれ餌に針先ほどの芽のひかり 草刈勢以子
中七までいっぱいに使って「木の芽のひかり」を比喩している。釣をしたひとならわかるが、餌がこぼれたあとの、すこしだけ覗く針先を比喩に用いたのはなかなか写生的でもある。
これによって「ひかり=針先」の予定調和感を薄める効果が出ている。
(その2に続く)