2015年7月31日金曜日

第21回俳句集団【itak】イベントのご案内


俳句集団【itak】事務局です。
神社、ご町内、商店街と夏祭も各所で盛んな頃合です
第20回イベントには51名のご参加をいただき、
ありがとうございました。

トークショー『NO MUSIC,NO HAIKU』はいかがでしたでしょうか。
ご感想などお寄せいただければ幸甚です。

抄録は【itak】ブログにて近日公開予定です。
またブログでは皆さんの各種ご寄稿・情報もお待ちしております。
 
 
下記内容にて【itak】の第21回 トークショー・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
多くの方々のご参加をお待ちしております。
第一部のみ、句会の見学のみのご参加も歓迎です。
実費にて懇親会もご用意しております。お気軽にご参加ください。
 

◆日時:平成27年9月12日(土)13時00分~16時50分

◆場所:「北海道立文学館」 講堂
     札幌市中央区中島公園1番4号
     TEL:011-511-7655


■プログラム■

 第一部 ゆるゆるトークショー

 『鴨々川ノスタルジアってなあに?』
 
 お話 鴨々堂女将・石川圭子×歌人・山田 航×寿郎社・土肥寿郎

 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
 高校生以下  無  料

(但し引率の大人の方は500円を頂きます)

※出来る限り、釣り銭の無いようお願い致します。
※イベント後、懇親会を行います(実費別途)。


 会場手配の都合上、懇親会は事前のお申し込みが必要になります。
 会場および会費など、詳細は下記詳細をご覧ください。


■イベント参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
イベントお申込みの締切は9月10日とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方もどうぞ遠慮なく申し込み下さい。
なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います。
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますのでどなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。



お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。
①トークショー・句会ともに参加
②第一部トークショーのみ参加
③第二部句会のみ参加(この場合は前日までにメール・FAXなど
で投句して頂きます。)
特にお申し出のない場合には①イベント・
句会の通し参加と判断さ
せていただきます。
なお、第一部からご参加の方の投句の締切は当日13:00です。

天候や交通状況で間に合わない場合等は、13:00までに
  itakhaiku@gmail.com まで投句ください。

◆イベント後・懇親会のご案内◆

会場:地の酒地の酉・まる田 七番蔵
    札幌市中央区南2条西4 フェアリースクエアビル1階
時刻:17:30~19:30
会費:4000円(飲み放題つき)
  ※イベント受付時にご精算をお済ませください。
  ※当日のキャンセルは後日会費を申し受けます。
  ※中高生、小学生はお問い合わせください。

準備の都合上、こちらは必ず事前のお申し込みをお願いします。
懇親会申し込みの締切は9月8日とさせて頂きます。
以降はお問い合わせください。

参加希望の方はイベントお申し込みのメールに ④懇親会参加 とお書き添えください。

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。

北海道立文学館へのアクセス
※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」駅3番出口をご利用の際には


①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両
②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両にお乗りいただくと便利です。

 

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2015年7月29日水曜日

俳句集団【itak】第20回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第20回句会評③

  
2015年7月11日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 夏至の夜やあまたの乳房もつ女神    青山酔鳴

 夏至の句よりも「夏至の夜」の句のほうが作りやすい。ターゲットをしぼれるせいか。夏至の夜のエネルギーや怪しさ、妖艶さ、かといって明日からまた衰える滅びの美学みたいなものを内包している。女神はギリシャ神話かインドあたりのおどろおどろしい神かもしれない。私は人間の女を題材にしてもよいと思った。哺乳類にはミルクラインというのがあり、それに沿ってたくさん乳房や乳頭がある女性がいる。私は脇の下に乳房、乳頭のある患者を何人も診察している。だから「夏至の夜やあまたの乳房持つ女」だったら採っていた。あぶなく酔鳴の餌に引っ掛かかるところであった。私は俳句の読みはいかんせん「だぼはぜ」である。

 ほととぎす座薬しずかに沈めゆく    五十嵐秀彦

 座薬という俗なるもの、そして健康のために必要なもの。なかなか句にしずらい。というか俳句に出してくること自体があざとい秀彦調だ。二つのうまい表現がある。「しずかに」 は俳人ならだれでも使う便利ツールでこの句でも有効的だが、無視して進める。まず「沈めゆく」である。これが「沈めけり」でも「沈めたり」でもいけない。なぜか「けり」や「たり」なら 動作の主語は人間になり、作者(秀彦自身)が座薬を挿しただけのことになる(何の詩もない光景)が、「沈めゆく」だと動作の主語が座薬かもしれない、つまり座薬が自ら沈んでゆくようなシュールなイメージが湧く。もしくは作者自身でない他者(英語でいうtheyみたいな感じ)が主語かもしれない。とにかくイメージに「ゆらぎ」が生じる。これで80%はできたようなもの。あとはどんな季語を選択するかだ。「ほととぎす」これはかなり良いと思う。採れなかった人は短時間に なぜ ほととぎす??と思ったからだろう。この場合植物や花だといけない、雅(みやび)すぎる。動物なら虫、キリギリスなどはいけない。グロテスクすぎる。亀鳴くや蛙でもだめ。諧謔すぎる。「ほととぎす」一番病気が似合う鳥を持ってきた。褒めたくないが、さすがである。なぜ私は採らなかったか?秀彦の句と思ったからである。句会はこんな基準で選句してはいけません。あしからず。

 とりどりの尻の器量や田植うた    増田植歌

 最高点句である。限られた時間の句会ではこういう句はとられやすい。まずわかりやすいし、可笑しい。景がすぐ見えてくる。俳句を読んで一枚の絵をイメージさせたら、掲句はみな同じ絵を描いてくれるだろう。「尻にも器量がある」という見立てのよさと、「とりどりの」の上五が絶妙。よりどりみどりの器量の尻が並んでいるのがわかる。田植うた なので実景ではないであろう。たしかにお尻美人というのがいて、上を見るとがっかりすることが多々ある。採ったひとは皆男性俳人だったかどうか 記憶は定かでない。なぜ私は採れなかったか?「とりどり」と「や」が好みでなかった。というしかない。私だったら「器量ある尻並びけり田植うた」にしたと思う。つまり単に中七の「や」が好きになれないのである。そしてあくまでも私個人の好みでしかない。合評句会の難しさは特選で採れば句評がついてくることだ。だから、鑑賞が難しい句は敬遠されがちである。しかしそれではいけない。採った理由は「わけわからないけど、魅かれました」でいいのである。そうしないと「レベルが低い句会」と言われてしまう。(レベルって何???ふざけるなと私は言いたい。)いったい誰に怒ってるの??と自分に問う。

 敷藁に尻うつくしき西瓜かな    草刈勢以子

 本句会では本格的に写生の効いた句を出してくる作者。よく初心者に「うつくしい」などの形容詞は使わないほうがいいよと指導される。たしかに陳腐な形容詞はまずいが、やり方として形容詞の真逆なものを取り合わせて良い。尻という美しくないものを持ってくる(もちろん 美しい尻もあるが・・)。もしくは方向性の違うものを持ってくる。音を形容するものに光を形容したり、すればよい。さて掲句に行こう。「しきわら」「しり」「うつくしき」の「し」の畳みかけ。景のすわりのよさ。おなじ尻でも格調高く詠まれている。しかも主役が西瓜で大したものではないのが微笑ましい佳品だ。敷藁も富良野あたりの国道沿いの農家直営の西瓜売りの景を思い浮かべさせて リアルであるし、あたたかみもある。ちなみに私のすきな「美しい」を使った句は「雁や残るものみな美しき 波郷」と「汝が性の炭うつくしくならべつぐ 素逝」である。私の好みなんかみな興味ないかもね(たまに好みくらい載せてもいいよね、ただで書いてるんだから)。

 生きをればあり舌頭も白桃も    井上康秋

 「生きをればあり」まず七音使って、格調高く詠みはじめている。これがうまい。このようにはじめに先制パンチを打つ場合は、ふたつのパターンしか成功しない。ひとつはそれ以上にごつい、重たい措辞(ハードパンチ)をもってくるか、かるく肩すかし(スウェイ;揺さぶってパンチをかわす)をくらわすか。掲句は後者だ。「長く生きていればそれはあるよ  口先三寸で生きてきたこともあるし、白桃のような女を抱いたこともあるよ」と橋本のかってな口語訳。こんな感じかもしれない。おこられるかもしれないが(大丈夫 康秋さんはこころがひろいから。) さて舌頭=口先、ことば という意もある。そして舌でいただくみずみずしい白桃。この白桃も妖艶ではかない、傷つきやすいというイメージがつきまとう。いずれにしても長い人生の感懐と私は捉えて、特選でいただいた。句会当日夜二人でスナックに飲みに行ったが俳句については一切語らなかった(語るとからまれるから・・・ごめんこれは内緒ね)。

 大広間二つつなげて夏料理   久才透子


 内容を一語であらわすと「夏座敷に出された料理」を説明しているだけで終わりなのだが、とにかく気持ちがよい。「夏料理」という季語の処理(季語のあしらい)がうまい。中七の措辞で、景も見えるし、通ってゆく風も感じられる。その風に乗って夏料理のにおいも色彩も伝わってくる。俳人協会的なうまさ(季語の本意、本情に沿った句作りという意味)の句だ。これこそ現俳壇の時流でしょう。ここに現代俳句協会の青臭さ(兜太的な言い方だと既存の季語に泥まずにぶっ壊す気持ちで句づくりする)も兼ね備えてほしいというのが、私の理想ではあるが。ちなみに私は俳人協会員でもあるし現代俳句協会員でもあるので、よく両協会の悪口をいいますが、間違っているとは思いません。したがって両協会に睨まれても怖くありません。反論があればどうぞ(ファイテイングポーズ)という感じ。 

 


 
以上。私大腸ポリープ切除の入院中で機嫌がわるいのでいささか言葉が過ぎたかもしれません。苦情、反論受けて立ちますが(脅かすわけではありませんが、私は弁が立ちますので倍返しするかもしれませんし、病人ですので同情してください)、反論や苦情が多いとこのコーナーを降ろされるのでうれしいです。


※ファンレターは来ても降板要求はございませんので、この調子で毎度ガンガンお書きくださいませ!(事務局 J)


 

2015年7月27日月曜日

俳句集団【itak】第20回句会評② (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第20回句会評

  
2015年7月11日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 

 つまらない文庫と寝たの夏の風     大原智也

 いただいた句。女の子のつぶやき調に表現したのが奏効している。おそらく文庫を「男」と無意識下に読ませてしまう おかしさも付きまとうのである。「つまらない男と寝たの」でも十分すごいフレーズだ。夏の風のすがすがしさの中で、つまらない文庫を顔の上にかけてうたた寝してしまった。つまらない が決して作者や読者にとって、つまらない、後悔していると思っていない のでは と思わせてしまう力がある。座五の季語は「夏の風」 でおさめたのも良い。先ほども「風ですかした」と表現したが、俳句で座五に困ったときは 風を吹かせるか、適切な植物を持ってくるのが一番穏当な手法だ。「そこにたまたま曼珠沙華が咲いてたから・・・」と答えるのは客観写生を理解していない芸のないお婆ちゃん俳人のよく使うセリフである。採れなかった人はやはり「夏の風」が平凡と思ったのかもしれないが。「ハンモック」「籐寝椅子」のような生活の季語も一考の余地があるかもしれない。

 デモに立つ乙女の髪の月桃花    高畠葉子

 月桃はあまり北の地域ではみない花。おそらく沖縄などのデモではなかろうか。社会性俳句は廃れている平成であるが、社会性というよりも、いま生きている世の中を活写するという意味で機会詩としてどんどん詠むべきだ。乙女という言葉が甘くなりがちだが、甘くならずに決まっている。バックに琉球美人の黒髪が見えてくる。佳句なのだが、点があつまらないのは月桃花がすこしマニアックすぎたかも。ハイビスカス(仏桑花)あたりでよかったかも。作者は当句会では骨のある女流俳人のひとりなので、「点なんか入んなくっていいの」とおこっているかもしれないが。怒らないでね。

 ジーンズの裾折るたびに南吹く    籬 朱子

 裾という足元に視点をずらした構図を設定して、南風という比較的大きくて気持ちのよい季語をかぶせている。「たびに」という措辞でその映像が何度でもリフレインされる。ここではジーンズの触感や、それを履いている若者の姿も想起させている。しかも裾おるたびに若い女性の下肢がすこしづつ凉しげになる。古典的なアイゼンシュタインのモンタージュ手法でできている。もちろん作者本人は星野立子的に「なーんにも」考えずにつくっているのだ。だからこそおそるべし。

 水を買ふこの世当然原爆忌  松原美幸

 「原爆忌の日に水を買う」という行為。水を飲むのではなく、水を買うという現代では当たり前のことが、不思議にひびく。当然 という措辞。わかりやすいようで、わかりにくい。当たり前という意味で使用したのであろう。たとえば「原爆忌この世たやすく水を買ふ」 というようなニュアンスなんであろう。水をください と言って死んでいったあまたの犠牲者を想起させ、コンビニなどでたやすく水を買う現代の行為と原爆忌の取り合わせは素晴らしい。あとは表現法だろう。

 付け爪の気づかれたくて夏帽子    高橋ヨウ子

 夏帽子の鍔へさりげなく手をやる、手の指に付け爪。とてもきれいなネールアートなのであろうか。できたら海の色だといいですね。夏帽子に焦点を置くことで、そこにある爪も見えてきて素材が分散せずにきちんと詠めている。中七の「気づかれたくて」もさりげなくうまい作り。ちなみに私の病院では爪専門外来というのをやっているが、今欧米でも「爪の悩み」はなんと命に関わる高血圧や心疾患と同じくらいにDLQI(患者さんの悩みの指標を数値で表したもの)が高いのだ、だから「髪はおんなの命」ならぬ「爪はおんなの命」なのである。もし「髪がおとこの命」なら、私はすでに命はない。

 吊るさるる凉しさハート葛てふ    松田ナツ

 蔓草に花が咲いてる。その名前が「ハート葛」という名なのであろう。ハート型の花弁なのであろうか。「葛てふ」という「いいさし」のままで終了したので、読み手としては??マークがついてわかりにくくしてしまったのであろう。たとえば「吊るさるる凉しきハート葛かな」 でもよかったのではと思う。作者としては 「凉さが吊るされる」 ということに詩の焦点を当てたいのであれば、「ハート葛」というとても詩のある名前なので感動が分散してしまうのだ。両方言いたいのであれば 「凉しさも吊らるるハート葛かな」 でも良い。とても良い素材なので勿体ない感じがするが、私の意見など無視して結構です。でも諦めずに保存しておいてほしい句です。

 航跡は孤独のひかり月凉し     栗山麻衣

 月に照らされた海面に船の航跡がはかなく消える。一瞬その航跡に月の光が映り、消失する。そのはかなさを「孤独のひかり」とした。航跡=水の動き=澪を ひかり に転用し、直上の月の光へアングルを切り替える作り。「夏の月」ではなくて、「月凉し」が海の凉さまでうかがえる。あんまり点をあつめなかった理由は一口に言えば「孤独」という措辞の難しさであろう。でも難しい措辞であるからこそ、挑戦すべきであろう。私も「孤独」というベタな言葉で俳句に挑戦してみたい。

 
(つづく) 


 

2015年7月25日土曜日

俳句集団【itak】第20回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第20回句会評①

  
2015年7月11日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 久しぶりで、やり方をわすれた感じ。しかし句会の進行も以前よりもブラッシュアップしていたので、スムーズであった。今回も自由に、気楽に、思うままに句評してゆきますので、気に障ったら御寛恕を。付け加えると、朱子さんの句会の時のコメントは秀逸。ノーコメントでいいときも、良いところを見つけて褒めていた。これは本当に感心した。私にはできない。籬 朱子は、おそるべし。
 
 
 答案にへのへのもへじ風は初夏   酒井おかわり

 「へのへのもへじ」は落書きの絵文字であった。このような俳句表記も面白い。ただし「へのへのもへじ」はすでに昭和の遺物であるが・・・座五を「風は初夏」で、すかしたのもうまい。昭和ならこんな解答用紙でもこのような答案でも点をくれる先生もいたことだろう。この句のように少し挑戦すること、新しい表現法を大いに評価する句会であってほしいと思います。私は答案用紙に百人一首の短歌を書いて一点もらったことがあります。平成の時代は先生にとっても不毛な時代である。座五を「風ですかす」というのはひとつの技です。

 鈴の音は耳鳴りとなる山登り   鍛冶美波

 コメントで朱子さんも述べていたが、現代の山登り。北海道においてはクマよけの鈴は必須アイテム。そういう意味でリアルな句である。中七以下は 「耳鳴りとなる鈴の音」 でおさめたほうが座りがよいと思うが、好みではある。ただ鈴の音(ね)と読ませるのは個人的にはいかがか とは思う。たとえば「山下りいまも耳鳴り鈴の音」とか詩的には劣化したとしてもだれが読んでも伝わる句になるはずだ。もちろん「山下り」も季語。私は山登りが趣味のタクシーに乗ったことがあり、そのドライバーはクマよけの鈴を車内に垂らしていた。だからブレーキ踏んだり、急停車するたび鈴の音が鳴り響き、葬式か、仏壇のなかにいるようで、あまり良い感じはしなかった。私も不快なのだから、羆もきっと不快なのに違いないと妙に納得。

 雲の峰鷲掴みしたい男くる   福本東希子

 中八はどうかと思うが、おおづかみな男の見立ては実に気持ちのよい措辞。口語調のほうがこの句の本当の良さが出てくると思うが、中七に収めようとすると 「鷲掴みしたき男や雲の峰」となってしまい、どうも良さが出ない。鷲掴みしたいのは作者だと思うが、ここは「雲の峰」に鷲掴みさせたほうがいいのではと思う。「中八おんな」と自称する櫂 未知子ほど私はこだわらないが、高校生の参加する当句会においては中八でよしと思って貰っては困る(俳句甲子園で勝てない)。そのあたりは俳句のリゴリズムを守ってほしい。選句するひとたちもその辺は気を付けないと。某俳句協会からレベルの低い句会と揶揄されたら不快でしょう、羆みたいに。一例は「男くる鷲掴みする雲の峰」などでも十分詩になると思うのだが。男がまるで「進撃の巨人」や「だいだらぼっち」みたいでかっこいいですね。中八問題にもどるが、ここは選句した方たちの意見を聞きたい。問題は中八でもゆるせるほどの詩になってるか が論点である。中八を許してまでも余りある作品ならいいですが。

 ラベンダー約束のごとにほひけり   室谷安早子

 あっさりとした措辞であるが、ラベンダーのにおい、約束という措辞にとてもマッチしている。青春の約束のような、淡い恋のような感じがして瑞々しい感性。中七の「ごと」ここで切れることになるので文法的に問題かもしれない。その場合は「約束のごとく匂へるラベンダー」でもおさまりそうだ。私がしるしをつけながら最後に頂かなかったのは文法的に大丈夫か?ということだ。ラベンダー/約束のごと/にほひけり と三段に切れる感じがした。私は国語の先生でないので、この辺りは尊敬するかをりさんに意見を聞きたいところ。「いつから橋本はそんな文法にうるさくなった?」ともうひとりの自分がちゃかしているが、もちろん文法至上主義ではないし、うるさいこという人は嫌いですが、自分でもおなじ形の句をつくったことがあり、疑問でした。詳しい人おしえてね。
 ちなみに「ごと」俳句で私の一番好きなのは「うすらひは深山へかへる花の如 湘子」良い句ですね。文法的にも完璧です。

 つばめつばめどこかに古城ありさうな    久保田哲子

 つばめは軒下に営巣するので、高い建物、高い塔などと組み合わせると俳句になりやすい。ヨーロッパの古城なんか合うよな、なんて思う。そういう意味で古城がとても合うのであるが、でき過ぎの感があるので、そこに「つばめつばめ」と細見綾子ふうにリフレインでアクセントをつけている。ここらあたりが本句会の最強の手練れの技なのだ。それと「いいさし」の止め方も素晴らしい。これ初心者がやると自殺行為です。

 朱夏ゆらり五臓六腑に夕日入る     山田美和子

 オノマトペはむずかしいのだが、この句の「ゆらり」は効いている。一番太陽が強い時期の夕日があたかも内臓までしみこむ肉体感覚を ゆらり というオノマトペが十全に言い表していると思う。でっかい太陽がゆらゆらと地平線に落ち行くときに相対してちっぽけな人間の内臓にまでしみこんでくるという意だ。ちなみに作者の他作品の座五「〇〇の涙」を指折り数えて「あー六だ」と言ったところとても可愛かったです(何言ってんだ私は)。

 一時間待って夏野を持て余す      恵本俊文

 なんとなくわかるのだが、実はかなり読み手に預けた句である。そういう意味では曖昧な佳句ということ。一時間待って/で深いスリット(切れ)がある。誰が待っているか、誰を待っているかわからないつくり。夏野を満喫できる時間を待っている ともとれる。朱子さんは「夏野を持て余す」、を文字通りうけとり、すこし飽きてしまう的ニュアンスを言っていた。その読みも可。しかしこの場合、夏野の広大さ、夏野のエネルギーを持て余す と解釈するほうが自然かもしれない。窓秋の「頭の中で白い夏野になつてゐる」の句が写生ではなく、「紙に夏野と書いて一週間眺めて作った」と言っていたが、頭の中のイメージの句として有名だ。この句も「夏野」を脳の中でイメージして作った句であろう。もちろん実景かもしれない。ちなみに写生派が「頭で作るな」というが、それならどこでつくるの?大脳皮質にきまってるじゃん と私は反論したい(なんか今日は私とげがあるな)。


(つづく)


 

2015年7月23日木曜日

俳句集団【itak】第20回イベントを終えて


俳句集団【itak】第20回イベントを終えて

『 No Music,No Haiku 』
~俳句集団【itak】は止まらない~

 
五十嵐秀彦
 

 


俳句集団【itak】の第20回イベントが去る7月11日に私たちのホームである北海道立文学館地下講堂で開催されました。

いやぁ、正直言って今回のイベントはかなり不安だったのです。
と言うのも、前回の第19回があの夏井いつきさんの特別プログラムで、過去最多の113名の参加(文学館地下講堂の定員は90名)となり、北海道の俳句イベント的にもかつてない盛り上がりを見せた後だっただけに、スタッフは全員燃え尽き症候群を発症(笑)し、ま~30人も来てくれればいいんじゃないの、前回の今回だし~、というかなり脱力した気分だったので。

ところが開いてみれば第1部企画に51名の参加といういつもどおりの盛況にスタッフ一同びっくりすると同時に、【itak】に期待してくれている方々の力強い存在に感謝!
脱力していた自分たちは猛省しなくちゃならんな、と思ったのでした。
何より今回、夏井いつきさんのトークショーと句会ライブの次という誰もがいやがるタイミングにもかかわらず、男気を出して企画を準備してくれた【itak】幹事の恵本俊文さんと大原智也さんのお二人には大いに感謝しています。
 
第1部企画は、恵本俊文+大原智也による『No Music, No haiku』という音楽を題材としたトークショーで、はたしてどんな話しが展開するのか興味津々でした。
これが実に面白かった!
両氏は北海道新聞文化部の音楽担当のOB記者と現役記者ということで、その資料収集力と博覧強記ぶりには舌を巻きました。

おふたりが取り上げたアーティストは次のとおり。
浜田真理子ジョン・レノンアグスティン・ペレイラ・ルセーサカナクション(山口一郎)、大江千里岡林信康シシド・カフカ三波春夫友部正人友川かずきパフューム山下洋輔などなど。
そうしたアーティストたちが直接俳句について語ったことや、あるいは俳句作品、俳句にインスパイアされたことなど、実際に曲の一部を流しながらラジオ放送のDJ風に自由に語る内容は、楽しくもあり刺激的でもありました。
さらには音楽をモチーフとした俳句の紹介もあり、盛りだくさんの内容と、その「午前3時あたりの深夜放送」でも聴いているような雰囲気のおふたりの語り口に時間を忘れる思いでした(そんなことでかなり時間オーバーwww)。
 
俳句集団【itak】のイベントの特徴は、前半のこの企画に依るところが大きいと考えています。
もちろん俳句をテーマとした企画もいたしますが、俳句とは別のことをテーマとした企画もこれまで多数やってきました。
一見俳句と遠いように思えることでも、そこから刺激を受けることが多く、ともすると俳句を狭い世界にしてしまってそこに閉じこもる傾向がなきにしもあらずの状況の中、他のジャンルに目を向けてみることは今後の俳句の可能性を広げることに通じると私たちは考えています。
俳句の作り方の勉強も大事かもしれませんが、俳句も文芸表現であるならばなにより発想を豊かにしないことには何もできないはずです。
【itak】のイベントからなにか少しでもヒントを得ていただければ、私たちにとってそんなうれしいことはありません。
今後も微力ながらこの方向性で企画を打ち続けていこうと思っています。

【itak】の企画で使ってみたらどうだというアイデアがありましたら、どうぞ遠慮なく会場の幹事にお伝えください。参加者みんなで作っていくのが俳句集団【itak】です。
1回でも参加すれば、もう【itak】の会員。その自由な考えにもとづいて運営されています。今後ともご参加・ご協力、よろしくお願いいたします。
 
第2部の句会も50名(うち選句のみ参加2名)でにぎやかに行うことができました。
ご参加の皆さまお疲れさまでした。
次回、第21回イベントは下記のとおりです。

◆日時:平成27年9月12日(土)13:00~16:50
◆場所:北海道立文学館 地下講堂
◆第1部企画:ゆるゆるトークショー『鴨々川ノスタルジアってなあに?』(仮題)
スピーカは石川圭子さん(鴨々堂女将)、山田航さん(歌人)、土肥寿郎さん(寿郎社)
鴨々川という札幌でもマイナーなスポット(とは言えすすきののど真ん中)を郷土史的に掘り起こす活動の中心人物・石川圭子さんと、その活動をムック出版に繋いでいる出版社寿郎社の土肥寿郎さん、そのムックの執筆者であり責任編集人の歌人山田航さんが、「鴨ノス」ということについて語ります。これも見逃せない企画ですね。
では9月に、またお会いしましょう。