2014年4月15日火曜日

俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その2~




『短詩型における「文語」と「口語」~信仰としての二分類~』


講演  
月岡 道晴

2014年3月8日@北海道立文学館






俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その2~ 



 ■事例④ 古典語でコスプレ


私も文語と口語、どちらで短歌を作っているんだと訊かれた際には、文語で作っていると答えています。次にわたしをはじめとして、文語で歌、俳句を作っている人の作業手順を考えてみます。


ここでは茂吉の「赤茄子の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり」をサンプルにします。


①まず「トマトが腐っている所から」と発想します。
 

②それを端から「文語」らしき語へ置き換えていきます。「トマト」では締まらないから「赤茄子」としよう。「が」は口語っぽいから「の」に。「腐っている」を「腐れてゐたる」。「所から」を「ところより」

③「赤茄子の腐れてゐたるところより」とする――

だいたいこんな手順ではないでしょうか。

「腐れてゐたる」は、江戸時代にはちょっと分かりませんが、江戸より前の文語といわれる時代の古典では絶対に使いません。「~している」という補助動詞で「ゐる」とはしない。「ゐる」はほぼ本動詞で間違いなく、こんな継続の用法で使うことはない。これはおよそ古典和歌では見出すことのできない言葉で、現代語で発想して文語で置き換えるからそういうことが出てくる。

このように本当に「作業」としか呼びようのない手順の中からしか、こうした副産物が発生しないことは明らかでしょう。現代の短詩形文学で「文語体」とされる文体は、こうした作業の末に作成された文体がみなそういわれるにすぎません。だから正確な呼び方をするなら「旧仮名文語混じり文」という石川美南さんの言い方が本質に近いと思います。ここでは発想の基盤はあくまでも現代語。だから古典語や古典詩歌とは、特に文末助辞の発想の時点が根本的に違う。

ここで話を分かりやすくするために、詩人で、平安文学研究の第一人者である藤井貞和さんの著書、『日本語と時間――〈時の文法〉をたどる』(平成22年、岩波新書)の説明を拝借します。

「かつての日本語には、時間を表わす助動詞(藤井さんはこれを時枝誠記『国語学原論』(昭和16年、岩波書店)に倣って「助動辞」と呼んでいます)、キ、ケリ、ツ、ヌ、タリ、リとケム、アリの計8種類ある」

アリは一般的には助動詞ではありませんが、それを抜いても7種類もあります。われわれは「だ」というとき、その他何種類の言い方ができますか? 「だった」「している」「だろう」のせいぜい3種類くらいですよね。3種類と7種類とを比べると、3種類で発想しているわれわれには扱えない部分が出てくるのは当然です。古代人はの7種類を多様に使い分ける言語生活を送っていました。われわれがそれをにわかに真似しようとしても真似できるわけがありません。例えば共に「完了」とされる助動詞「ツ」と「ヌ」をどれだけ使い分けられるでしょうか。

現代の短詩形作家が用いている文末表現の「~ぬ」は、現代語で発想した作品を古典的に装うための扮装でしかありません。扮装が分かりにくいなら「コスプレ」といっていいかもしれません。われわれは、古典語のコスプレをして作品を作っている。それで貫之や小町、芭蕉や子規になったつもりで作品を作っているのにすぎない。「ぬ」がどれだけ、発想の中で古典語と一致させて使えているのかは疑問です。

ただし、実は古典の時代から文末の表現はそういうものでした。文法を学ぶと、助動詞の「ラシ」というのはほとんど平安時代には和歌にしか表れないことに気付かされます。「~を~み」というミ語法などは、平安時代末には既にほとんどみんな意味がわからなくなっていたのに、さかんに歌に用いていた。そもそも和歌における付属語とはそういう性質を帯びやすいものだったらしい。例えば、「ツツ止め」なども、秘伝の代表的な方法になっていますが、秘伝を受けた人のみが許されるコスプレといえます。文末の言葉は、昔からコスプレに使われやすい言葉だったということができます。

俳句では逆に古典語とはまったく異なった機能において、これらを「切れ字」として新たな機能を持たせてきました。当然「文語」と同一ではない。だから、文語ではどう使ってきたのだろうなどと考えて、俳句の切れ字を考えなくてよい。現代の人は、現在の使い方に励めば良いと思います。現代の文体を作ることに精力を注ぐのが良いと思います。
 
 
 
 ■事例⑤ 文語=古文ではない


「文語」は高等学校教材の「古文」とイコールと思っている人はいないでしょうか。辞書や文法書を見て、そう書いていない、はずれているから「間違っている」と考えていないでしょうか。古典の人たちは間違えることはなかったと考えてはいないでしょうか? そもそも「間違える」という言い方自体が間違っています。

高校で使われている『標準古典文法の研究』(平成7年、第一研究社)を見てみます。私が高校教員の際に使っていた教科書ですが、ここには助動詞ツとヌの区別について、こう書かれています。

ツは「意識的・作為的な場合に使用し、他動詞に接続」
ヌは「無意識的・自然的な場合に使用し、自動詞に接続」

こんなこと頭に入れて、短歌、俳句は作れません。木下正俊という国語学者の「『雨が降る』という言い方」(『萬葉集語法の研究』昭和47年、塙書房)という論文で、古典語では「露―置く」「波―寄す」などのように、古典和歌には多く自然現象について他動詞で、つまり作為的な行為として詠まれた例を多く見るという記述があります。これは自然現象は神様がしているものだという考えのなごりなのでして、古典語に現代の「他動詞/自動詞」という物差しを当てて考えることは、必ずしも有効とは思われません。ツとヌの本質的な区別はもっと別のところにあると考えるべきで、このような整理は単なる集計結果を示したものに過ぎないと断じざるを得ません。
一番良い使い分けを示しているのは、ちょっと古いものですが、中西宇一さんの「発生と完了――『ぬ』と『つ』」という論文に尽きるのではないかと思っています。中西さんによれば「ツは事態の完了」。ついさっき終わったということ。「ヌは事態の発生」。これから起こっていくこと。だから「月傾きぬ」といえば、月が傾き始めるということです。江戸時代の文法書『あゆひ抄』でも、「~ツ」は「つい最近の昔」という説明をしています。
藤井貞和さんも、「ツは直前までのことをつよく指す」――さっき~したばかり。「ヌはさし迫る状況をさす」――まさにそうなろうとしていると言っている。藤井さんが挙げている2例によると

 

吾が(おも)ひを人に知るれや。(たま)(くしげ)開き明けつ――と夢にし見ゆる
                (『萬葉集』④五九一、笠郎女)

私の思いを人に知られたのだろうか。いやそんなことないのだろうけど、「(たま)(くしげ)開き明けつ」と夢に見えた。これを藤井さんは、「たったいま玉手箱が開かれた!」それが夢に見えたと読むべきなんだとしています。しっくりきますね。


熟田津に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな
                    (『同』①八、額田王)
 


有名な歌ですが、これも、今潮が良くなって、これからずっと良くなるぞ、「おお、潮が満ちようとしているぞ!」と読まないと歌の理解としては不十分だろうと言っています。ツは「短期で終わる」、ヌは「終わりの始まり」という意味がある。


これは古典語を注意深く読むからできることで、現代人がいちいち注意して使えるかというとそうではない。要するに現代人が使っている「ツ」「ヌ」と古典語で使われているものには大きな開きがあり、なかなか同じように使うことは難しいと言いたいのです。


藤井さんは、そうした多彩な古典語の表現から、「現代日本語が〈貧しく〉(あるいは簡便に)なってきた」と言っています。そのような現代において、昔の歌人や俳人が「文語で詠作する」ことは、当時の人と同じ発想ができない限りできません。達成しがたい偉業といっても言い過ぎでない。それはあたかも遥か遠い古代に死んでしまった神を現代の世に求めるような営みと言えるかもしれません。しかし、私も文語で作ることはやめません。それなりに意義があることとは思っています。その意義についてはまた後ほど。




次に古典作品で実際にどのような文章が綴られていたのかという例を持って来ました。


定家本『俊頼髄脳』です。これは鎌倉時代初期に藤原定家が部下に命じて作らせたもので、ここには忘れ草という歌語の解説をしている部分を引いてきました。忘れ草を植えると忘れる、思い草を植えると忘れないわけですが、この部分では思い草である鬼のしこ草を植えたところ、果たして鬼が出てきてこう話したという内容が語られています。


ひをく)らし、よをあかしつれは、「我はわすれ申さし」とて、「しをんといへる草こそ、こゝろにおほゆる事はわすられさなれ」とて、しをんお〔を〕つかのほとにうへてみけれは、いよ々々わするゝ事なくて、ひをへてしあるきけるをみて、つかのうちにこゑありて、「我はそこのおやのかはねをまもるおになり。ねかはくはおそるゝ事なかれ。きみをまもらんと思」といひけれは、おそりなからきゝおりけれは、「きみはおやにけうある事、とし月をゝくれともかはる事なし。あにのぬしはおなしく戀かなしみてみえしかと、思わすれ草をうゑてそのしるしを()たり。そこはしをんをうゑて、又そのしるしお〔を〕えたり。心さしねんころにしてあはれふ所すくなからす。我おにのかたちをえたれとも、ものをあはれふこゝろあり。又ひのうちの事をさとる事あり。みえんところあらは、ゆめをもちてしめさむ」といひて、こゑ……。(※〔を〕は補ったもの)

注目したいのは、助詞の「を」を「お」と書いているところです。「植える」は学校文法だと「うゑ」と書くべきところですが、「うへて」とも記されている。古典文学の時代でも、実際はこう書いていた。われわれが作り上げた文語にという規則では「田植ゑ」と書かなきゃならないけれども、それが文語だとは一概には言えないのです。


高校までで教えられてきた「古文」とその教材は、千何百年もの歴史の中で当然大きく変遷してきた近代よりも前の文章語を、現代になってから、現在の視点から「かくあるべきかたちに――または最大公約数的に」整理し直したものです。「文語」というのは、だから現代にしかない。実際の文章がその通りに運用されたわけではないし、扱われる教材もすべてその範疇で説明できるものを扱っているから、千年間も同じ文章の規則で書いてきたように見えてしまうのですが、そうではないのです。例えば、奥の細道は、あの時代の標準的な文章よりも、もっとクラシカルに書いている。あの時代の人がみんな奥の細道のように書いていたわけではない。


仮名遣いについて言えば、鎌倉時代初期に定家が「定家仮名遣い」を定めた。江戸時代に契沖が『和字正濫鈔』を著し、これが現在の文語のベースになっています。さらに近代に橋本進吉などが研究を加えた結果、現在ではこのように定められている。逆に言えば、平安時代も末になると、定家らが仮名遣いを定めなければならないくらいに、実際の「古文」は多様な仮名遣いになったと言えます。多様になったものを一つの規則に統一したのが定家であり、次に契沖が出てくるとその仮名遣いとなり、現在では文部省の指導の下でそう定められています。


次には短歌や古文の話ばかりでなく、俳句の例も入れてみました。

『俳諧七部集』の「冬の日 尾張五哥仙 全」(潁原退蔵(えばら・たいぞう)編『校註俳諧七部集』(昭和16年昭、明治書院)から取ってきました。


かぜ吹ぬ秋の日瓶に酒なき日(芭蕉)
これについて柳田國男は『木綿以前の事』(昭和54年、岩波文庫)の中で、「幸田(こうだ)()(はん)さんの本などは大切なものであるが、どちらが正しいかは問題外として、私などが今まで解しているのと正反対にとっておられるのが幾つもある」として、この『冬の日』の付合、「(つる)()る窓の月かすかなり」という7、7に対して、芭蕉が「風吹ぬ秋の()(かめ)に酒無き日」と付けた句を挙げています。


この「風吹ぬ」を潁原や柳田らは「風吹かぬ」と解し、それに対して幸田露伴は「風吹きぬ」だと主張して譲らなかったのですが、「吹かぬ」「吹きぬ」の果たしてどちらが正しいのかは誰にも分からない。現在のテキストをみると「吹かぬ」となっているけれど、「吹きぬ」でも文法的に正しいし、俳句の発想としても、露伴が強硬に主張するくらいですから悪くありませんよね。これは「芭蕉ともあろう人が送り仮名を間違えるなんて」という話ではなくて、芭蕉がこう書いているんだから、両方とも正解として成り立ってしまうということです。この時代には、送り仮名の規則が現代のように厳しく定められているわけではなかった。われわれが文語や仮名遣いとして「正しい」と思っている規則は、現代に作り上げた、あるべき古典の形をそう呼んでいるに過ぎないということです。


■事例⑥ 現代短歌での口語と文語


次の事例は現代短歌の現場における〈口語/文語〉についてです。最近多く議論になっています。


ここでは森本平さんの文章を持ってきました。平さんは実は万葉学者の森本治吉の孫で、現代短歌の世界でたいへん影響力の強い人です。この森本さんが、『歌壇』平成23年4月号の「どうでもいいこと、もしくは当たり前のこと」と題する文章でこう書いています。


「まず、一番根本のところから確認しておけば、いわゆる「口語」と呼ばれるものと同じように喋る人はほとんどいない」


 歌人の山田航(やまだ・わたる)さんが「お前の作は文語、口語、どっちだ」と言われたら、きっと口語の歌人と答えると思いますが、もし航さんが日常生活も歌の通りにしゃべる人だったら、ずいぶんと気持ち悪い人でしょう() 「口語」と言われる作品も、やはり口語そのものではないのです。森本さんの文章は次のように続いています。


 「ましてやいわゆる〈口語〉のように整理された形で思考する人もいない。当たり前のことだが、〈口語〉と呼ばれるものも一種の文語、と言って語弊があるなら『書くためのスタイル』に過ぎない」

ですから、いわゆる「口語短歌」も、やはり文語体に変わりありません。つまり、一つの文章のスタイルに過ぎないということです。「文語短歌」との間に明確に線引きできるようなものは、実は何もない。二つともひとつの文体であり、文章体であるという点では変わりないということが言えます。


森本さんはこうした主張に添うように、非常に実験的な作品を作っています。20首ある作品「ノスタルジスト」(『開耶』平成23年1月)の中から17首を引いてきました。

 
(わす)れたきものより()()()ひこめば()()(ゆき)よりも(しろ)()()


(なつ)(よる)(つき)はさらなり(けん)(たい)(ひる)(いか)りを()(つぶ)しつつ


(おも)へばあれはわが人生(じんせい)(はな)時期(じき)うるとらせぶん()けの明星(みやうじやう)


いれたての紅茶(こうちや)(かを)り 期待(きたい)ほど(たの)しくなかつた週末(しうまつ)()


(かぜ)(せい)(みづ)女神(めがみ)もゐざる(もいざる)()白鳥(はくてう)騎士(きし)ならねばあくび


(たれ)かがそこで()んだのだからいつの()胸処(むなど)(すみれ)(はな)(かか)へて


()(なか)昨日(きのふ)のごとく(うつく)しき乞食(こじき)(なに)かを(ひろ)ひて()たり


寝転(ねころ)びて()みゐる(みいる)沙翁(しやおう) (ゐだい)なる(ちち)たいたすりあ(おう)(おろ)かなる(ちち)


()えがての ()(のこ)(ゆめ)浮橋(うきはし)の あなたのるさんちまんの墓場(はかば)


おるごおる、わがおるごおる放置(はうち)され(うた)はぬままのわがおるごおる


感傷(かんしやう)()ぎるめーるを()さぬまま保存(ほぞん) 九月(くがつ)()れた午後(ごご)()


(うつく)しきひとと(おも)ひてそののちを五分(ごふん)()たず(わす)れてしまふ


ろくさーぬ のいず(やさ)しきれこーどの(はり)のとびたるごとき追憶(ついおく)


夜明(よあ)けまで(おも)ひだすべき(ほほえ)みの(やさ)()ぎればその(こは)れゆく


処女(せうぢよ)(きみ)(うる)みて()みし小説(せうせつ)()まで(ゑが)かぬはつぴいえんど


金色(こんじき)(なか)にやがては()えゆかむいのつくああでん()みゐ(みい)乙女(せうぢよ)


()ちぼうけらしき少女(せうぢよ)(ちや)(かみ)の ()つひとのゐる(いる)(さち)()づかず

ここでは全ての漢字にルビが振られています。また今ならカタカナ語にあたる語に傍線が引かれています。これは森本さんがここで初めて開発した特別な形ではなくて、明治や大正など、ある時代に集中してみられた文章の形をあえて模倣したものです。「楽しくなかつた」「死んだ」などの口語的な表現も混じっていますが、一読してわかるように文語を基調とする作品として読めるでしょう。


ですが、これが従来「文語」と呼ばれてきたものと同じかと言うとそうではありません。江戸時代以前の言葉がすなわち文章語と考えられがちですが、説明したように、ここで規範とされている文体は、明らかに江戸時代より後のものです。「ろくさーぬ」「いのつくああでん」という表わし方は、明らかに文明開化後の文体、近代の紙面を意識したものでしょう。従来は古典語の様々な語彙を継ぎはぎで組み合わせたものを「文語」と称しているのに対して、この総ルビで、かつ外来語を平仮名傍線で記した作品群は、そうしたモダンな時代の紙面にターゲットを絞って作り上げたものと見ることができます。この文体も〈文語〉――いや、この文体こそが〈文語〉を最も先鋭的に意識したものと言っていいかもしれません。


森本さんは「こういう文語だってアリなんだよ」と主張するために、こうした作品を作っているのでしょう。つまり古典語の喚起力のみが〈文語〉において意識化されるべきものではなく、われわれが日常〈文語〉と一括りに称しているものの中にも様々な位相が存在していることをこの作品群は気付かせてくれます。


現代の自称「文語」歌人・俳人は、〈文語〉の短歌を詠んでいると自己規定し、人麻呂や小町や貫之や定家と同じ地平に立って同じ位相において詠むことが可能だと信じて疑わないのですが、これまで見てきたように、古典語からかけ離れた文体・発想によって詠作している点においては、「文語」短歌も「口語」短歌も一緒だと言わざるを得ません。


どっちのほうが自然かという言い方でその優劣が論じられることもあります。現代人だから現代語が自然、いやいや和歌、短歌は古典の詩の形だから、古典語でやるのは自然という人もいるのですが、すでに早いうちに穂村弘さんがこんなことを言っています。


「表現欲の器として短歌という「不自然な」器を選択している以上、口語と文語どちらがより自然かなどという問いは無意味だ」と。『歌壇』平成11年12月号)(~その3~に続く)




 つきおか・みちはる

長野県出身。國學院大學北海道短期大学部准教授・歌人。
上代文学会、萬葉学会、美夫君志会、古代文学会、日本文学協会の各学会に所属。
また、歌人としてさまざまな雑誌・新聞等に寄稿(『歌壇』『短歌現代』『短歌新聞』など)。
著書(共著)に『古事記がわかる事典』、『万葉集神事語辞典』、『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』。
朝日カルチャーセンター札幌教室「人麻呂恋歌拾い読み」を開講中。







 

2014年4月13日日曜日

俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その1~




『短詩型における「文語」と「口語」~信仰としての二分類~』


講演  
月岡 道晴

2014年3月8日@北海道立文学館



俳句集団【itak】は3月8日、12回目のイベント・句会を札幌の道立文学館(中央区中島公園)で開きました。今回は、歌人で、國學院大學北海道短期大学部(滝川市)准教授の月岡道晴さんが「短詩型における『文語』と『口語』~信仰としての二分類~」と題して講演。月岡さんは、万葉集や斎藤茂吉などの作品、近現代の評論を事例に挙げながら、俳句や短歌など短詩型文学における「文語」と「口語」、「新かな遣い」と「旧かな遣い」の現状や意味合いを解説しました。講演の詳報を3回に分けて紹介します。


俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その1~


 ■事例① やっかいな制度


まず、制度がいかにやっかいかという例を挙げます。東大教授の品田悦一(よしかず)氏の著書、『万葉集の発明――国民国家と文化装置としての古典』の冒頭にこんな話があります。

ある地方の早熟な少年が「次はバンヨウシュウを読むんだ」と家族に自慢した。するとさほど学もない祖母に「それを言うならマンヨウシュウだよ!」と叱りつけられた。続けて祖母はマンヨウシュウの仁徳御製をすらすらと唱えてみせたという。

 
高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどは賑はひにけり
 

これは実は品田氏自身の話ですが、品田少年はすっかりその話を信じ込んでしまいました。さっそく図書館で借りて読みます。少年少女版『万葉集』を見つけて読みますが、その歌が載っていない。そのはずです。この歌の初出は平安時代の『和漢朗詠集』だからです。祖母は修身か道徳かの授業で教わった生半可な知識を、そのまま孫に刷り込んでしまった。品田少年は『万葉集』の原典を通読する大学2年まで、「仁徳御製」の存在を信じ続けていたそうです。
後に東大教授になる品田氏でさえ、こういうことが起こる。品田氏は、「古典」が成立する背景にこの話の祖母のような、圧倒的な数の「非読者」の存在があることを指摘します。むろん、この祖母もまた同様の「非読者」によってそう教育されたはずです。「制度」がやっかいなのは、だれが悪いというわけではないところにあります。制度の内で「非読者」は新たな「非読者」を生み、その「非読者」はまた新たな「非読者」を生産する。文語、口語も、実際に知らない人が育てて、われわれを縛り付けていることがあるらしいのです。
 

■事例② 茂吉の「万葉調」

 
次に、斎藤茂吉の「万葉調」を挙げます。茂吉は「万葉調の歌人」として取り上げられます。昭和28年に亡くなった際、新聞記事に「万葉調に現代の息吹きを与えた」(『読売新聞』昭28年2月27日朝刊「編集手帳」)、「万葉における叙情の実感やリズムの美しさを、彼の振幅の大きい西洋的教養によって近代のものとした」(『朝日新聞』同日「天声人語」)と書かれました。さらに日本芸術院長の弔辞では「万葉ぶりのしらべに近代的感覚を盛つて幾多清新の和歌を発表」(同年3月2日茂吉葬儀)とあります。だれが切っても同じ形の切り方は、だいたい「非読者」が作り上げているといって間違いない。この記事を書いている人が茂吉の歌を全部読んでいるとは到底思えません。このようなステレオタイプの評言がまかり通ること自体、「非読者」がおびただしくあると推定できる材料です。
歌人や研究者ですら、多くは茂吉を「万葉調」の歌人の代表と見なして疑うことがありません。しかし、茂吉自身はこう言っています。少なくとも芸術院賞を受賞した大著『柿本人麿』を著すまでは、彼は万葉歌について雑誌から意見を求められた場合でも、「気が引けてものが云へなかつた」(同著「自序」)と書いています。「そして同人のうちでは島木赤彦、土屋文明の二君が銘々独特の意力を以て万葉研究に進んだので、私はただ友のしてくれた為事にすがつて辛うじて万葉に親しむに過ぎなかつた」(同)と記しています。これは謙遜というだけではなく、人がいうほど茂吉は万葉に詳しくなかった。
その背景の詳しくは、品田悦一氏の『斎藤茂吉――あかあかと一本の道とほりたり――』(平成22年、ミネルヴァ書房)を見てください(品田氏は、近日新潮選書で『斎藤茂吉 異形の短歌』も著されました)。「あかあかと~」の本は、茂吉の歌の本質をわかりやすく示してくれています。


赤茄子の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり      (『赤光』)
めん(どり)ら砂浴び()たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり  (『赤光』)
 
品田さんは、茂吉の万葉調、文体がこんなふうにできていると分析しています。
まず「幾程」という言葉は、万葉の時代にはありません。文語は主に平安中期の文章をサンプルにして作られていますが、「幾程」は平安時代も終わり、西行の私家集『山家集』が初出です。「腐れて」はさらにだいぶ後になって中世ごろです。「赤茄子」はトマトのことで、近代の造語。品田さんは「剃刀研人」も茂吉の造語と言っていますが、これは泉鏡花「註文帳」の冒頭にもおなじ語が出てくるので、彼が作ったか、あるいは当時一般に通用していた言葉でしょう。「ゐたる」「居たれ」は絶対に平安時代には言わない言い方で、擬似的に古典語をディフォルメした語です。また「ひつそりと」は完全に現代語です。
こうして、一つの時代には同居したことのありえない言葉が、一つの歌の中にごちゃっと集まっている。この何ともいえない居心地の悪さが茂吉の独特の文体、迫力であると品田さんは説得力を持って説明しています。

「(これらの歌には)ことばの歴史上、いまだかつて一続きの文を構成したことのない複数の語詞が…(中略)…ぶつかり合い、互いの含蓄が齟齬をきたして、不協和音を奏でている」(「あかあかと~」)

そして、そのようにして構成された不協和音によって、「一見なんの変哲もない日常瑣末の経験が、こうして、同時にきわめて異常な出来事として読者に突きつけられる。…(中略)…それはまさしく「一種怪奇な天地」である。」(同)と言っています。
茂吉の文語は、万葉調として読むからそう読んで疑いもしないのですが、こうして実際に見てみると、「文語」「万葉調」と一括りにはできないものです。万葉調、文語と決めつけると、その魅力は消えてしまう。それを取っ払って茂吉を見ようと、品田先生は言っています。
品田先生は、それをシクロフスキーなどロシアフォルマリズムの提唱する文芸手法である、「異化(非日常化)」に擬えて説明しながら、『赤光』像をこのように説明しています。

「『赤光』とは、生きてこの世にあることを大いなる奇蹟と観じた男が、まのあたりに生起するあらゆる事象に目を見張り、(おのの)き、万物の生滅を時々刻々に愛惜しつづけた心の軌跡なのだと思う。そこには自明なことがらは何ひとつない。…(中略)…燦爛と光が降り注ぐただ中に変な裂け目がいくつもあって、途方もない暗黒が覗けている。茂吉の特異な言語感覚が、この根源的な生命感覚と共振するとき、『不可思議で奇異な感覚』で読者の魂を揺さぶる歌々が生まれる」(「あかあかと~」)

茂吉の詠作に接する際、われわれが共通して感じてきた何とも奇妙な感覚を説明するものとして、これは出色の見解だと言えます。われわれは茂吉を「万葉調」歌人、文語歌人の枠に押し込んで読み取ってきたのですが、そうした従来の枠組みからはこんな見解はあらわれるべくもありません。
茂吉自身が自分の歌を万葉調と考えていなかっただけではなく、『赤光』が出た当時に、その文体を万葉調ではないと言った人もいます。
『アララギ』赤光批評号に、金沢種美という人が「『赤光』を読みて後の心」という文章を寄せています。
「貴方は何故に従来の万葉調を捨てゝ現今の作風にお移りになつたのでせう」。
このように茂吉の歌は同時代の人から見ると万葉調に見えないような文体だったのが、その後、大正末から昭和戦前にかけて『万葉集』を「国民歌集」に押し上げたブームの中で、『万葉集』の旗振り役だったアララギの領袖たる茂吉が、国民歌人の役を「全力で演じ」始めてしまった。そしてついに最晩年には「万葉調の国民歌人」という役柄のほうが茂吉を演ずるに至ってしまう。
品田さんによるなら、むしろ茂吉は「万葉集に祟られた」と見ることもできます。社会に生きる者にとって、制度は時に便利なものですが、万葉調という制度の足かせをつけて短歌、俳句を見ると、その本質を見落とす部分もあるということを以上では述べました。
 

 ■事例③ 旧仮名ときどき文語混じり


さて、〈口語〉や〈文語〉と言われている文体についても、やはり「制度」という面を無視して考えるわけにはいきません。純粋な「口語」、純粋な「文語」の作など現代の詩歌において存在し得るのでしょうか? かつて歴史の中にそんなものが存在したのか、そもそも存在できるものだろうか――とわたしは問いかけたい。俳句、短歌を作る際「そんな言葉、古典文法で言わないよ」と文句をつけられることがありますが、あまり考えなくてよいのです。後で詳しく述べますが、「正しい」文語の作なんて最初から作ることができないからです。茂吉のように独特な迫力のある文体を作り上げるのが優先されるべきで、辞書を引きながら、文語らしい形に作ることは本末転倒だと思います。その理由はまた後ほど。

『歌壇』 (本阿弥書店) 平成23年1月号に「現代短歌の突破口はどこにあるか――新鋭の提言」という特集がありました。同特集には「なぜ今の時代に文語・旧仮名を使うのか」と自問自答する石川美南さんの文章がありまして、石川さんは自らの文体を「旧仮名(ときどき文語混じり)」と規定しています。これは少し実態に近いと思います。石川さんは同じ「文語/口語」の二元論の思考の枠内にあっても比較的柔軟ですが、しかし、文語/口語の二元論の枠組みがそもそも適当なのかを考えないとなりません。
事例②の茂吉作品などのように、短詩形文学の文体は、文語/口語の二元論の枠内で論じ切れません。「文語」や「口語」、あるいは「万葉調」といったものは絶対的な本質に関わる評価なのではなく、あくまでも他者との比較によって決まる相対的な位置付けです。
 万葉集に出てくる言葉を使っていて、それが他の人の作よりも目に付くようであれば、その歌は「万葉調」と言われる。万葉集の歌と同じように作品を作れる人はどこにもいない。文語で作れている人もこの世に1人もいません。(~その2~に続く)





 つきおか・みちはる

長野県出身。國學院大學北海道短期大学部准教授・歌人。
上代文学会、萬葉学会、美夫君志会、古代文学会、日本文学協会の各学会に所属。
また、歌人としてさまざまな雑誌・新聞等に寄稿(『歌壇』『短歌現代』『短歌新聞』など)。
著書(共著)に『古事記がわかる事典』、『万葉集神事語辞典』、『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』。
朝日カルチャーセンター札幌教室「人麻呂恋歌拾い読み」を開講中。