俳句集団【itak】第26回句会評④
2016年7月9日
橋本喜夫(雪華、銀化)
下駄箱に埋もれし記憶夏の蝶 大原 智也
本人が自解していた景は娘さんの下駄箱にラブレターが入っていたらしいが、この句だけからはなかなか想像できない。「埋もれし記憶」が暗い、過去の記憶を彷彿させるからだ。「し」という過去形を使用してるからかもしれない。ただしそのように誤解されても、「夏の蝶」が十分に受け止めて俳句として成立させている。むしろ暗い鬱屈した青春の思い出に「夏の蝶」が慰めを与えてくれているようにも取れる。作者にとっては「下駄箱に埋めたき記憶」だとか「下駄箱に置き去る記憶」とかそんな複雑な感情なのであろう。
告白の返事あひまひ扇風機 増田 植歌
これも恋句シリーズである。必死に告白を遂げたのに、なんとのその返事はどっちつかず。折しも扇風機は状況を見まわすように二人に風をあてるために必死に首を振っている。首を縦にふる扇風機はないので、返事はあいまいであるが、答えは「ノー」なのである。
先のこと考えられぬ桃を剥く 室谷安早子
地味な句ではあるが高点句であった。おそらく「ぬ」は完了の助動詞?ここで切れてると思われる。したがって二つの動作、二つのフレーズが取り合わされている。「先のことなんてとても考えていられないんだよね」とは無関係に「桃を剥いて食べている」ふたつのフレーズが「無心であること」「自然体であること」で通底しているのであろう。それとも「ぬ」は連体形として「桃」にかかるのかしら?(ここらあたりは次回の文法で取り上げてほしいが)つまり「先のことを考えていないのは桃である」という読みも文法的には可能なのかしら。それはそれで面白いのであるが。。。
凪ぐ風やけふは海月がよく釣れる 藤原 文珍
秀彦氏が天に採っていたと思うが、この句は面白いつくり方をしている。まず上五の○○○や、ふつうは季語やキーワードをもってきて詠嘆しているのだが、「風が凪いできたなー」とこれがこの句の中心の感動なのである。あとはとってつけたように「海月がよく釣れたわい」とうそぶいている。この力の抜け方がまた句として面白い。結果としてこうなったのだと思うが、季語を軽く軽く処理して、感動の中心である詠嘆の措辞も決して詩的なキーワードを使わずに力を抜いて使う。これが短歌でよく言われる「ライトバースな俳句」なのかなと勝手に思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿