2014年11月25日火曜日

俳句集団【itak】第16回イベント抄録(その2)


【馬の俳句】

後半は、馬の俳句についてです。
好きな俳句と馬をこじつけて発表させてもらいます。過去の俳人の馬の俳句を拾ってみました。まず江戸時代から。松尾芭蕉です。この人から拾わないと始まりません。

●松尾芭蕉(1644~1694年)


文庫版の「芭蕉俳句集」から馬の俳句を拾ってみたところ、全1190句のうち、馬の句は28句ありました。「馬」そのものを詠んだ句ほか、「馬そり」や「鐙」など馬のイメージのあるものもカウントしました。馬の字が入っていても「ミズスマシ(水馬)」とか「茄子の馬」などはカウントしていません。芭蕉俳句集の馬俳句率は2・3%ありました。

  ・道のべの木槿は馬にくはれけり


馬って本当に木槿を食べるのかと疑問があったのですが、実際に木槿の咲く季節に花を採って馬の前に差し出したら、写真のようにあっという間に食べてしまいました。感動しました。自分も、芭蕉と同じ感動を味わえたんだなと思いました。

  ・冬の日や馬上に氷る影法師

芭蕉は馬の上に乗った俳句を作っています。奥の細道の序文にも「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらえて老をむかふるものは」というくだりがあります。江戸時代の旅は、徒歩以外の移動手段は舟か馬しかありません。自動車やバス、汽車はない。当たり前ですが、馬がいかに重要なものであったか、われわれは意外とそのことを忘れているのではないでしょうか。

  ・蚤虱馬の尿する枕もと

「尿(しと)する」を「尿(ばり)こく」とも詠んだらしいですが、添削して「尿(しと)」としている。「しと」のほうが、しっくりくると思います。

●与謝蕪村(1716~1783年)

「蕪村俳句集」からです。蕪村は意外と少なく、この句集では1440句のうち13句、0・9%でした。

  ・鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな

蕪村は、雅な位の人、やんごとなき人、美しい馬といったものを句に詠んでいます。どうしてこのような句になるのかと考えたときに、蕪村とわずか2歳しか違わない柄井川柳(1718~1790年)という人の存在を思い浮かべました。この人は、江戸で一世を風靡した付け句(川柳)の人。一方、蕪村は上方の文人画家。雅な世界の人です。川柳の大ブームという中で、対抗意識があったのではないかと考えました。蕪村は、川柳を意識しつつ、芭蕉の高貴な「蕉風」を追い求めたのではないかと感じました。

  ・馬下りて高根のさくら見付けたり
  ・繋ぎ馬雪一双の鐙かな

馬上の句ではなく、馬から下りた句です。蕪村は馬に乗るのは得意ではなかったのではないかと勝手に邪推しています。2番目の句は、鐙のついている馬ですから、位の高い人の馬を詠んでいる。美しい句だと思います。蕪村の絵のような句です。

●小林一茶(1763~1827年)

一茶は、蕪村から約50年ほど後に生まれた人です。「一茶俳句集」の2000句のうち44句ありました。馬俳句率は2・2%です。芭蕉と同じくらいですが、この時代の俳人の句には、だいたい2~3%くらい馬の句があるように感じています。

  ・馬の子の故郷はなるゝ秋の雨

一茶も故郷をはなれて名を挙げようとしたが大変だった。馬に自分の気持ちを入れ込んだような感じもします。

  ・雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

有名な句です。一茶は馬も多く詠んでいますが、それよりも蛙とか雀の句が多く、馬の2、3倍はあります。

  ・じっとして馬に嗅るゝ蛙哉
  ・赤馬の鼻で吹けり雀の子

馬の句ではないですが、有名な「痩せ蛙負けるな一茶ここにあり」など、一茶は、蛙や雀など小さい生き物をあわれむ。逆に馬は強いモノの象徴になります。例えば・・・

  ・武士(さむらい)に蠅を追する御馬哉
  ・馬迄も萌黄の蚊帳に寝たりけり

馬は一茶にとって強いものの象徴のような気がします。反骨精神のあった俳人ですが、馬はその反骨精神をぶつける対象だったようです。

  ・首出して稲付馬の通りけり
  ・馬のくび曲らぬ程の稲穂哉

稲付馬とは、稲を運ぶ馬。江戸時代の馬の大きさが想像できます。ばん馬やサラブレッドのような大きな馬は、いくら稲を積んでも首を曲がるほどになりません。当時の農村の馬はポニーくらいの大きさの馬を使っていたと想像できます。

●正岡子規(1867~1902年)

明治時代はまずこの人です。「子規句集」の中の(2306句)のうち馬の句は、39句、1・7%でした。

  ・徴発の馬つゞきけり年の市

明治28年(1895年)の句です。徴発とは軍事用に人や馬などを集めること。にぎやかな年の瀬に軍馬がものものしく通ったという句です。明治27年(1894年)に日清戦争が起こり、子規は翌年、従軍記者として朝鮮に渡りますが、船の中で喀血し、体を壊します。帰国後から闘病生活が始まります。

  ・馬車(うまぐるま)店先ふさぐあつさ哉

馬車の句は、江戸時代にはあまり見当たりません。日本は山国なので、馬車はあまり重宝しない。馬は、背中に荷物を載せて、使役に使われることが多かったと思います。明治時代になると西洋文化の影響もあり、ようやく馬車が出てくる。子規は馬のフン、馬糞の句もよく詠んでいます。

  ・初午や土手は行来の馬の糞
  ・馬糞(うまくそ)をはなれて石に秋の蠅
  ・馬糞に息つく秋の胡蝶かな

子規らしい写実的な面白い句だと思います。ちなみに、馬の俳句(39句)のうち馬糞俳句率は7・6%なります。馬糞の句は蕪村、一茶にもあります。

  ・紅梅の落花燃らむ馬の糞(蕪村)
  ・どかどかと花の上なる馬ふん哉(一茶)

さすがに蕪村の手にかかると、こんなにきれいな馬糞になる。いっぽう一茶は、どかどかと花の上に落ちる馬糞ですから。強い者の象徴として馬を詠む、馬が憎けりゃ馬糞まで憎いという感じ。

●高浜虚子(1874~1959年)

虚子です。2冊ある「5句集」(上、下)からの3050句にうち13句しかありませんでした。0・4%。非常に少ない。虚子は馬の句はあまり詠んでいないんですね。なぜかと不思議に思ったのですが、その理由のヒントになるのが、虚子が明治43年、37歳、まだ小説を書いていたころですが、鉄道院の嘱託になっていることです。鉄道の文章、旅行記なども書いて稼いでいたらしい。「知られざる虚子」(栗林圭魚)という本に書いてありました。鉄道と虚子が関係深いのは、昭和になって満州鉄道であちこち行っていることとも関係があるかもしれません。

  ・駒の鼻ふくれて動く泉かな

馬が泉で水を飲んでいる。写生と省略の効いたさすが虚子という句ですね。

  ・牛も馬も人も橋下に野の夕立

虚子の少ない馬の句から拾わせてもらいましたが、虚子は鉄道と関係の深い人でした。鉄道は明治から時代から急速に発達し、馬の活躍の場をどんどん奪っていった。鉄道と馬は、相対するものでした。虛子は鉄道側の人だったのではないかというのが、僕の勝手な推測です。

●河東碧梧桐(1873~1937年)

虚子と双璧をなす碧梧桐は、2000句(碧梧桐句集)のうち42句、2・1%ありました。

  ・種馬につけにやりけり春の雨
  ・馬売れて牛に別れや牧小春
  ・馬斃れし跡掃く水や火蛾の飛ぶ
  ・秋風や去勢せし馬といふを見る
  ・馬の艶々しさが枯芝に丸出しになってゐる

種付したり、去勢したり、売れたり、死んだり。ぼくの仕事と共通点があります。「豆作の句はいろいろな馬の句があって面白い」なんて言われて得意になっていましたが、実はそういう句は碧梧桐が、新傾向俳句集の中でとっくの昔にたくさん詠んでいる。碧梧桐の馬の句の多さを見せつけられたときは、愕然としました。殴られた気分でした。碧梧桐に全部やられてしまっているなと。

●村上鬼城(1865~1938年)

  ・痩馬のあはれ機嫌や秋高し
  ・後の月を寒がる馬に戸ざしけり

「鬼城句集」の1063句中には32句、3・0%ありました。鬼城はぼくの大好きな作家の一人ですが、その中でも「痩馬の~」は一番好きな句です。この馬は、何か事情があって痩せているのでしょう。天高く馬肥ゆる秋といえば、周りの馬は皆健康で太っている。そんな中で痩馬がふてくされることもなく、痩馬なりに周りに合わせて機嫌良く振る舞っている。それが「あわれ」であると鬼城は詠んでいる。僕の仕事でもそういう馬がいます。鬼城はそれを見事に捉えており、ぐっときますね。「後の月~」では、寒がっている馬のために戸を閉めてやる。やさしいですよね。

●鮫島交魚子(さめじま・こうぎょし、1888~1980年)

北海道にゆかりのある俳人も紹介します。鮫島交魚子は、北海道のホトトギスの重鎮の方です。句集「花栗」の961句のうち馬の俳句は28句、2・9%。大正8年、小樽商大生だった高浜年尾が丹毒で入院したときの小樽病院の外科医長さんでした。その後ホトトギスに投句を始めました。北海道俳句協会を結成した初代会長さんでもあります。

  ・短日の門に溜りぬ患者橇

「患者橇」、昔の患者はそりで病院に来ていたんですね。今で言えばさしずめ、病院の駐車場。このころは橇と馬が病院の前に居たんですね。そういうことを想像させてくれる句です。

  ・駅の灯へ急ぐ幌馬車駆りにけり
  ・炬燵橇仕立てて街に買物へ

炬燵橇とは面白いですね。交魚子さんの句からは(当時の)生活が分かります。

  ・山と積む大根に腰馬を馭す
  ・供米や駅員も出て橇荷役
  ・水を飲む耕馬の手綱守る童
  ・椴丸太積んで下山の馬橇かな

馬との生活、主に馬橇などを彷彿とさせる句です。

●細谷源二(1906~1970年)

「細谷源二全集」の1293句中、50句、3・9%でした。結社「氷原帯」の初代主宰、現代俳句系の人で、すごい句を詠む方です。

  ・赤き馬百尺の崖撃たれ墜ち

馬の毛色は、黒を青馬といい、茶色を赤毛馬といいます。赤き馬とは茶色馬のことです。

  ・野戦重砲兵馬臭くして目が可憐
  ・灼けたおれる馬を徒弟ら重なり見る

戦争の風景かと思います。壮絶です。昭和16年、プロレタリアの新興俳句弾圧事件で細谷源二さんは投獄されます。先日、「氷原帯」の現主宰、山陰進さんにお話しを伺ったのですが、あのころの特高は無茶苦茶だったといいます。ちょっとでも俳句がプロレタリア文芸だと見做すと、すぐにしょっぴかれた。赤という文字あったらもう共産党だといってダメ。赤、という言葉さえ使いづらい状態。源二さんは、昭和20年に東京の空襲で家も職場も焼けてしまって、十勝の豊頃(とよころ)町に入植しました。30半ばから豊頃で開拓農をしましたが、結局2年で挫折します。

  ・耕馬ゆえだんだん強く打たれたる
  ・びしびしと馬打つそばに仔がおれど
  ・涙を流がす馬をつれて来て買えと云えり
  ・馬の心農になく雨にあるらしき
  ・夏荒寥と火をたく病馬温めるらし
  ・荷馬夫等が屍を焼く蓬原

過酷な開拓時代はすごいですね。その後、砂川市に来ます。生活は安定しましたが、俳句はゆるんだかなと思います。

  ・きたぐにのぶらぶらしている代赭な馬
  ・氷原無情馬に旗なし犬に旗なし
  ・馬景をすぎ牛景はさむし髪きってきて
  ・叱られる馬だが薄にもらった尾が自慢

 「代赭(たいしゃ)」は褐色の馬のことです。(砂川時代の句は)何かぱっとしませんね。やはり豊頃時代がいいですね。

●金子兜太(1919年~)

「95歳の自選100句」から。100句中3句の3%でした。

  ・木曽のなあ木曽の炭馬並び糞る
  ・霧の夜の吾が身に近く馬歩む
  ・馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻

調べる時間がなくなって、自選集100句で勘弁してもらいました。でも才能の塊のような兜太さんらしい句が並びますね。

●稲畑汀子(1931年~)

「稲畑汀子 自選三百句」から300句中2句、0・7%。

  ・避暑の娘に馬よボートよピンポンよ
  ・海霧ときに馬柵より低く流れゐし

女性を代表して登場してもらいました。汀子先生の句集はいっぱいありますが、たまたま選んだ句集です。自選300句の中からです。馬の俳句率0・7%、虚子よりちょっと多いくらいです。
馬がボート、ピンポンと同列になっています。レジャーですね。現代の女性が見た馬。汀子先生は、自然や人のあるがままをさらりと詠む方です。現代のわれわれにとって、馬とはこういうものでしかないということなのでしょうか。

●鈴木八駛郎(すずき・やしろう、1925年~)

  ・生還や仔づれの馬と巡りあう

十勝の俳人の重鎮です。この方はヤバイです。何と「馬」という句集を作ってしまいました。102句のうち全部が馬の句で、100%。手に入れようとしたのですが図書館では持ち出し禁止でした。先日、八駛郎さんにお会いしたら、なんと「もう一つ、馬の句集を出すよ!」と言っていました。みなさん、ぜひ期待して下さい。「生還や~」は、軍馬ばかりの兵役から帰り、子連れの馬を見てほっとしたという感じでしょうか。句集の冒頭に出てくる句です。なるほどなあと思います。

  ・馬を撲つ荒声に萩ほろろ散る
  ・干菜の湯せりせりと飲む風邪の馬
  ・胎み馬の腹拭く藁を温める
  ・駅前の通りに凍る馬の糞

馬が大好きな方だと分かります。ぼくも馬の句をいろいろ詠んでいますが、八駛郎さんにはとてもかなわないと思います。

  ・父と馬ねむる母屋の麦熟るる
  ・霧にいなおり馬ゆきすきし父を呼ぶ
  ・売れぬ馬曵き戻る父酒くさし
  ・盆過ぎて馬具をつくろう父老ゆる
  ・馬臭き晩夏の家で粥煮る母

八駛郎さんのお父さんと馬の絆を詠んでいます。十勝開拓の馬の姿がよく分かる句です。ただ、馬も次第にトラクターにとって変わります。

  ・耕馬減りガソリン臭き村の畑
  ・馬殺し十勝原野に牛を見し
  ・屠場の馬正午におらず赤まんま
  ・春しぐれ牛が見ている馬の墓
  ・馬臭き家壊さるる野は晩夏

30年代にはこういう句になってきます。十勝でもこうですから、石狩や旭川、北見、オホーツクでもそうでしょう。農村風景から馬が消え、ガソリンや牛にとって変わって現在に至ります。

●五十嵐秀彦(1956年~)

おまけですが、(itak代表の)五十嵐さんの「無量」からも調べてみましたが、300句うち残念ながら、馬の句は0句でした(笑)。

(了)


☆抄録:久才秀樹(きゅうさい・ひでき) 北舟句会



2014年11月23日日曜日

俳句集団【itak】第16回イベント抄録(その1)


 
獣医師・俳人 安田豆作さん講演会
 
『重種馬の生産の現状と、馬の俳句
 
 2014年11月8日 札幌・道立文学館

 
 
 

俳句集団【itak】の16回目となるイベント・句会が、11月8日(土)、道立文学館(札幌市中央区中島公園)で開かれました。今回は、北海道帯広市の隣町、十勝管内幕別町の獣医師で、俳人の安田豆作さんが「重種馬の生産の現状と、馬の俳句」と題して講演しました。帯広市では、鉄製の重い橇を引っ張り、障害を乗り越える公営競馬「ばんえい競馬」が全国唯一、開催されています。同競馬に使われるのは、北海道で農耕馬などに使われてきた重種馬(じゅうしゅば)、「ばんえい馬」。獣医師として、ばんえい馬を見続けてきた安田さんは、講演で重種馬の一生や生産の現状を解説しました。また、芭蕉や子規、兜太ら著名俳人が詠んだ、馬を題材とした句を紹介しながら、各時代の俳句と馬の関係について考察しました。講演の詳報を掲載します。
やすだ・まめさく 1960年生まれ。十勝農業共済組合の獣医師で、NPO「とかち馬文化を支える会」の会員。俳句では、日本伝統俳句協会、北海道俳句協会の会員。「ホトトギス」「桑海」「柏林」に所属する。
ブログ「北の(来たの?)獣医師」http://mamesaku.livedoor.biz/
 

【馬の生産】

●戸数の減少が課題

前半は、馬の生産地である私の地元十勝や仕事の話を、後半は馬の俳句の話をしたいと思います。

私の今の仕事(獣医師)の9割は牛の仕事で、馬は1割程度です。

重種馬(じゅうしゅば)という言葉は、あまり聞き慣れないと思います。馬という動物をおおざっぱに分類すると、体重の重い「重種馬」、中くらいの「軽種馬」、小さい「小型馬」と三つに分けられます。犬の場合も「大型犬」「中型犬」「小型犬」と言いますよね。同じようなイメージです。

競馬でおなじみの「サラブレッド」は軽種馬の代表的な品種です。JRAの馬ですね。私の勤める十勝には「ばんえい競馬」が残っていますが、そこの馬は、体重がサラブレットの倍近い、800キロ~1トンの「ペルシュロン」「ブルトン」「ベルジアン」という品種の重種馬です。開拓の際に農耕馬などとして使われた馬が「ばんえい競走馬」として残っています。年配の人は覚えていると思いますが、馬橇を引く馬としても活躍しました。小型馬は、ポニーやドサンコなど。最近人気があり、増えています。

ただ、全国の馬の頭数は年々減っています。サラブレッドなどの軽種馬は(馬事協会の資料で)約6万頭、重種馬は景気の衰退とともに減り、3万頭いたのが現在は2万頭弱。小型は愛玩動物として頑張って生産され、2万2千頭くらい。全部合わせると約10万頭が全国にいますが、例えば牛と比較すると、牛は十勝だけで17〜18万頭。馬は日本全国で10万頭。現在はそういう状況です。

 十勝管内では、私が仕事を始めた昭和の終わり、バブルで景気がよくなり、馬肉の需要もあり、馬の数は5千頭まで増えました。その後、円高やバブル崩壊で不況になり、一気に減ってきて、平成23年で2千頭を割ってしまった。もっと寂しいのは、生産戸数です。昔は数千戸いたけど、どんどん減り、歯止めがきかず、今では管内で数百戸しかいない。高齢化も進み、跡取りもいません。非常にさみしく、懸念しています。生産技術を使う場所がない。少しでも馬の生産のことを知ってもらって、ぜひ馬に理解を持ってもらいたいと持っています。

●発情期の発見が鍵

次に馬の生産について説明します。まずは繁殖牝馬の購入です。馬に限らず、畜産の第一歩は、増やすことです。えさをやっているだけではしょうがない。とにかく妊娠させないといけない。牝馬が重要。雄は血統の良い馬が少頭数いればすみますが、雌は出来るだけ多く飼って妊娠させて増やすのが基本です。いかに妊娠させるかです。

食べ物ですが、牧草が主食です。冬は、ストックした牧草や干し草。エンバク、サプリメントなども与えています。ただ、最近は良い飼料は牛に取られるので、馬に回って来るものは少ない。

妊娠をさせるためには、牝馬の発情を見つけないといけません。馬は季節繁殖動物(長日動物)と言われ、春分のころ、日が長くなるころに発情期を迎えます。黄体ホルモンという値が上がると妊娠の準備となります。馬の排卵は3週間に1回。排卵日の数日前の交配で妊娠しやすい。排卵日の4、5日前くらいから発情します。妊娠をしなければ21日くらいで(発情を)繰り返します。発情期が交配のチャンス。これを逃すと妊娠できません。

発情を見つけるには、馬に聞くのが一番。そこで「当て馬」の出番です。メス馬にオス馬(当て馬)を近づけます。基本的にオス馬はメス馬が大好き。でもメスは普段、オス馬をあまり好きではなく、寄せ付けません。排卵日に近くなるときだけOKとなる。当て馬となるオスは(発情期ではない)メスに(嫌われて)蹴られることもあります。血統の良い馬は、けがをされては困る。そこで、血統的な魅力はいまいちでも、牝馬の心理が分かるロートル、年寄りの馬が、当て馬に使われます。発情しているメスは、オスが近づいても嫌がりません。ただ、当て馬は、メスが嫌がらずにじっとしているのを確認したら、そこまで。残念ながらそこで役割は終わりです。当て馬でも(発情期が)良く分からない場合、発情期を見極めるのは獣医の仕事です。膣鏡を入れて観察したり、肛門に手を入れて、直腸越しに卵巣をつかみます。卵は手で触れるんですが、排卵が近くなると(卵巣が)大きくなるんです。

次に交配です。馬は、「交尾」とは言わずに「交配」と言います。「交配」も学術用語で、現場では「種付け」と言います。種雄馬(しゅゆうば)=種馬(たねうま)を掛け合わせます。1トン近い種馬が800キロくらいの牝馬に乗りかかり、勇壮です。(牝馬が種馬を)おっかながったり(怖がったり)、種馬が遠方にいて、馬同志の移動が大変な場合は、人工授精を行います。ただ、サラブレッドは人工授精が規定で禁じられています。重種馬ではOKです。人工授精で大変なのは、種馬から精液を取ることです。精液を採取するためには人工膣を使います。種馬の「さお(陰茎)」をつかんで、人工膣に入れる。これが、すごい力を受ける危険な作業なんです。ヘルメット、安全靴を使わなくてはなりません。100ミリリットルほどの精液が出ますが、それを専用のストローで、発情期の来た牝馬に注入します。 

●8割は夜中の出産

種付けしても妊娠するかどうかは分かりません。妊娠すると発情がなくなるので時間がたてば分かりますが、超音波の写真を撮って妊娠診断することが一般的です。人間はお腹に超音波を当てますが、馬の場合はお腹の外からでなく、肛門から手を入れて直腸越しに子宮を撮影します。

馬の妊娠期間は11カ月(330日)です。たとえば5月5日に交配すると翌年4月5日頃に産まれます。牛は9カ月と10日(280日)、人間も、牛と同じで280日です(いわゆる「十月十日」は数え月で、実際には9カ月と7日)。馬は50日ほど長い計算です。

分娩・お産の際には、破水してフクロ(胎胞)が出てくる。獣医師は、正常分娩より、重い分娩に立ち会うことが多いですが、夜の暗いうちに産まれるのが8割くらいです。産まれたばかりの馬は、「とねっこ」「当歳馬」と言います。3~6月が仔馬の出産のピーク。牛の場合はほとんど人工哺育ですが、馬は実の親に育てられます。親と一緒に牧場に放します。重種馬のとねっこは、7~8ヶ月で400~500キロになり、大人のサラブレッドと同じくらいの体重になります。

馬の年齢の数え方は、2001年から満年齢に変わりました。昔は数え年でした。競馬の日本ダービーも昔は4歳馬でしたが、今の数え方では3歳馬です。人間の4倍掛けくらいなので、中学生くらいでしょうか。JRAの「天皇賞」やばんえいの「農林水産大臣賞」は、5、6歳~10歳くらいまでの馬、人間で言うと22~34歳が活躍しています。競走馬は10歳くらいで定年となります。定年後、オスは種馬になるか、去勢されて馬車や使役馬になったり、お祭りで登場したり。そうでなければ九州にいってお肉になる。牝馬は定年はないですが、(競走馬を終えたら)繁殖牝馬として農家に戻ります。種付けをされて、次世代の子を産むというライフサイクルです。

 1歳や2歳になると市場に出されます。各地で品評会や競り市が、行われますが、買い主は、大きく分けて二つ。ばんえい競馬関係の馬主、もう一つは肥育業者、主に九州から来る業者です。我々としては、ぜひともばんえい競馬の関係者に買ってもらいたいのですが。値段も、バブルの頃は1頭100万円を超える時代もありましたが今は半値くらい。馬は、牛と違って貿易の保護がなく、完全自由化商品なんです。為替相場に大きく影響されます。バブルがはじけた平成7年くらいから、九州の肉屋さんが買いに来なくなってしまった。カナダやアメリカなど外国の馬を買いに行く。円が高いから。でも、九州の馬肉業者さんは馬の生産現場を底で支える、とても大切な存在です。

競り主に渡った後は、ばんえい競馬のテストに向け、練習します。ばんえい競走馬になるためにはテスト、能力検定というがあり、受かった馬はめでたく花形の人生を送れます。不合格だとオスは去勢されて肉や使役馬に、メスは繁殖馬となります。馬そり、馬車などの道も僅かにあります。

みなさんには馬肉を食べて、生産に貢献してもらいたいと願っています。薫製の馬肉や、馬油もあります。コンビーフも、実は赤いところは馬肉を使っている。今は、馬が入っているとビーフとは言えないので「ニューコンミート」と言う名前でも売っています。馬肉を食べてもらって馬の生産が活性化すると、ぼくの仕事も無くならずに済みます。馬たちの人への貢献や、感謝の気持ちを込めて、馬たちの慰霊碑もあちこちにあるんですよ。

 
(その2につづく)
 

2014年11月18日火曜日

第16回句会 投句選句一覧④


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです


 
 
#投句・選句一覧
 
 

第16回句会 投句選句一覧③


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです


 

 
 
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第16回句会 投句選句一覧②


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第16回句会 投句選句一覧①


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです



 
 
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【第16回人気五句披講】


俳句集団【itak】です。
 
いつもご高覧頂きありがとうございます。
先日公開しました第16回句会【人気五句】の披講をいたします。
三句選で、天=3点、地=2点、人=1点の配点方式、( )内は配点です。
横書きにてご容赦くださいませ。

寒太郎本籍幌加内町朱鞠内            齋藤嫩子 (13)
地の端に羆見し夜の眠られず           田口三千代(13)
母となる馬の目やさし萩の牧            押野美江(12)
ガスの火の青き王冠時雨降る           籬  朱子(11)
牧閉じて十勝連山神宿る               押野美江( 9)
 

以上です。ご鑑賞ありがとうございました。



なお、1位、同点3位3句中2句、4位の句は掲載不可でしたので
6位句までの5句をご紹介いたしました。

当日の参加者数は61名、122句の出句となりました。
引き続き投句選句一覧をご報告します。
ご高覧下さいませ。



 

2014年11月14日金曜日

俳句集団【itak】第16回イベントを終えて


俳句集団【itak】第16回イベントを終えて

「 俳 諧 自 由 」
 
五十嵐秀彦




主催者側が自分で言うのもなんだが、【itak】の講演はいつも面白い。 

先月の平倫子さんの小泉八雲論もそうでしたが、今回の安田豆作さんの講演も前例のないような視点からの話で、俳句に関係あるところばかりではなく、それ以外の内容もとても興味をひかれるものでした。

これがたった500円で聴けるなんて!(これが言いたかったw)。 

というわけで、去る8日に俳句集団【itak】の今年最後となる第16回イベントが道立文学館講堂で開催されました。

前日までの予約の段階で60名に迫る勢い、そして当日にさらに来場者も増え、第1部講演には63名、第2部句会には61名の参加者となり、スタッフからはうれしい悲鳴もあがるほどでした(これ、常套句だけど、本当に悲鳴が聴こえたとか・・・)。 

講演は十勝在住の獣医さんで俳人の安田豆作さんによる「重種馬の生産の現状と、馬の俳句」。

安田さんがホトトギス所属ということもあり、伝統俳句協会系のかたが7名ほど参加されました。

そして北海道俳句協会の荒舩青嶺会長も参加。

組織を離れて一俳人として参加するという【itak】のポリシーそのまま、現代俳句協会、俳人協会、伝統俳句協会の会員もいれば、さまざまな結社に属するひとたち、そして多数の無所属のひとたち、高校生、小学生、みんな平等な鍋の中に芋煮状態となっておりました。
 

安田さんの講演の前半は獣医としてのお仕事の経験から重種馬の置かれている現状についてのお話しで、なるほど普段ひとくちに「牛馬」などと言っているけれど、牛の置かれている立場と馬とでは異なること、特に重種馬は既に農耕で使われることがなくなったことから極端に頭数が減っていることなど、はじめて聴く話しばかりでとても面白いものでした。 

そして後半は俳人ごとに見る馬の俳句論。

芭蕉、蕪村、一茶の馬の句をとおして江戸時代の馬が見えてくる、そして俳人の作風もまた馬の句に顕著であることなど、「そうか!」と得心する内容でした。

さらに明治以降現代までの俳人の馬の句についても、子規に馬の句が多いのに虚子に少ないのはなぜか?とか、北海道の開拓と切っても切れない馬を描いた俳句のことなど、独自の視点からの考察が聴けて、とても充実した講演でした。 

特に「馬は木槿を食べるのか」という、俳人ならばピンとくる疑問点について、豆作さんが実験をしてみた結果は・・・?

それがどういう結論になったかは、後日掲載予定の抄録をお待ちください。

 

第2部句会は61名の大句会となりました。

前回、橋本喜夫さんにコメンテーターをしてもらって、その薄情でぶっきらぼう(笑)なコメントが好評だったことから、今回はさらに籬朱子さんもコメンテーターに加え喜夫さんと二人体制でやってみました。多少多面的な鑑賞ができたのではないでしょうか。
 

いつもの名司会者・三品吏紀さんが残念ながら今回欠席だったため、【itak】でもっとも時間感覚のない男、私・五十嵐秀彦が司会を担当したため、案の定ペース配分がグダグダになり終盤大混乱?となってしまいましたこと、この場を借りてお詫びいたします。
次回はさらに進行方法を検討しなおします(私が司会をしないのがベストなのは言うまでもないのですが・・・)。 
 

誰でも500円と俳句2句もって【itak】にやってくればそれでいい。

結社も協会も関係ない。ひとりの俳句愛好者として参加すれば、それぞれのドラマがここから生まれてくるのだと思います。

「俳諧自由」

文芸が自由に息づく場所。【itak】はこれからもそんな場と機会を創り続けます。
ときどきくたびれるかもしれないけれど、ともかく続けます。もっと面白くなるはずだから。

どうぞ今後も俳句集団【itak】の動きに注目してください。

 

次回は年もあらたまった1月10日(土)です。

「爆笑!【itak】俳句甲子園」(仮題)

企画内容はまだ詰めておりませんが、現役高校生、OB、大人たちによる【itak】的俳句甲子園をやる予定ですので、ぜひご期待ください。

 

 

2014年11月9日日曜日

第16回俳句集団【itak】イベントは無事終了しました。



昨日は俳句集団【itak】の第16回イベント 講演会・句会にお越しいただきまして誠にありがとうございました。
安田豆作氏による講演会『重種馬の生産の現状と、馬の俳句』はいかがでしたでしょうか。どうぞご感想などをお寄せ下さいませ。
今回も63名のみなさんにご参加いただき、大盛会となりました。
忘年会を兼ねた懇親会にも多数のご参加をいただき、ありがとうございました。
大人数の句会で運営が行き届かない部分も多々あったかと思いますが、皆様のご協力に感謝いたします。

第一部の抄録については改めてこのブログにてご報告させていただきたいと思います。
また、「句会評」「人気五句」「読む」企画などを随時アップの予定です。只今皆さんの原稿を鋭意募集中です(ごめんなさい、原稿料はありません)。 

itak】のブログは参加されたみなさんの発表の場でもあります。記事についてのコメントやツイッター等での評を頂けますと大変に励みになります。また、みなさまの作品もお寄せください。既発表作でも構いません。エッセイ、回文、短歌、どんなジャンルでも結構です。どうぞよろしくお願いします。

次回は1月10日(土)13:00から、北海道立文学館・地下講堂にて開催の予定となっております。
第一部は有志による『爆笑!【itak】俳句甲子園☆』(仮題)を予定しております。みなさまお誘いあわせのうえ、イベント・句会にご参加くださいませ。

詳細は改めてご案内いたします。
以下のメールアドレスに随時お問合せくださいませ。 


本日のところは取り急ぎの御礼まで。
今後とも俳句集団【itak】をどうぞよろしくお願いいたします。


俳句集団【itak】幹事一同

2014年11月6日木曜日

俳句集団【itak】第16回 講演会・句会は明後日です!

http://mamesaku.livedoor.biz/


俳句集団【itak】事務局です。

171年ぶりの名月、二度目の十三夜を見ることができた晩秋です。雪が降ったかと思えば気温が上がったり、相変わらず不安定な気候ですね。

さて第16回イベント、講演会・句会はいよいよ明後日となりました。どなたでもご参加いただけます。
当日参加も歓迎です。
お誘いあわせの上、どうぞお気軽にお越しくださいませ。

天気予報は晴時々曇。夜は気温が下がってきます。
みなさまどうぞ暖かくしてお出で下さいませ。


◆日時:平成26年11月8日(土)13時00分~16時50分


◆場所:「北海道立文学館」 講堂
     札幌市中央区中島公園1番4号
     TEL:011-511-7655


■プログラム■

◎第一部 講演会『重種馬の生産の現状と、馬の俳句』
     講 演 獣医師・俳人 安田 豆作 

◎第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>

 一   般  500円
 高校生以下  無  料(但し引率の大人の方は500円を頂きます)


 詳細お問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。






2014年11月3日月曜日

『ムッシュが読む』 ~第15回の句会から~ (最終回)


『 ムッシュが読む 』 (最終回)


~第15回の句会から~

恵本 俊文
 
 
 覆水は盆に返らず星月夜      田湯   岬


星が月のように明るく輝いて見える夜だ。ちょっとした取り替えのつかないことをやらかしてしまったけれど、こんな夜なら諦められそうだ。月がとっても青い夜には遠回りして帰りたくなるのと同じように、なんだか何でも許されてしまいそうな、明るく穏やかな夜なのだ。


 眠草仏わらひの稚児の夢      長谷川忠臣


遊び疲れた幼子が、うとうとしている。どんな夢を見ているのだろう。遊んでいる夢?  もしかしたら、夢の中でも、疲れて眠っているのかもしれない。そんな想像をするだけで、なんだか嬉しくなってくる。ぼくに子どもがいたなら、こんな楽しい毎日を送ることができたのだなあ。ちょっと残念。


天高くみなそれぞれの旅鞄     三品 吏紀


澄み渡った大空の下にいると、旅行鞄を手に、気の向く方へ歩を進めたくなる。ただ、それは本当の旅でなくてもいい。数々の思い出が詰まった鞄を持ったぼくらは、生きているだけで、それぞれの旅路を歩んでいる。一歩を踏み出すなら、天高きこんな日なのかもしれない。

 
了)



 『ムッシュが読む』をご高覧頂きありがとうございました。コメントなどご遠慮なくお寄せください。