俳句集団【itak】第26回句会評②
2016年7月9日
橋本喜夫(雪華、銀化)
かたつむり雨余の光をのぼりけり 長谷川忠臣
かたつむりが雨あとの夏の太陽の光をうけながら、葉先をのぼってゆく景を格調高く詠んでいる。のぼりけり が少し誇張しすぎた感があるのと、リアルさに欠けているかもしれない。たしかに「のぼりけり」で格調は高くなるが、予定調和感もぬぐえない。好みの問題かもしれないが、私だったら「這ひ上がる」など美しくない表現を選んでしまいそうだ。
もつと蛍をカルピスが薄いから 五十嵐秀彦
「~から」とか「~ゆえ」とか、理由や目的で繋がらない二つのパラグラフを結びつける作者特有の手法である。人気が集まったのは、二つのフレーズがどちらも片言でありながら、何かを希求しているような求心力がある措辞だから。「もっと蛍を」はゲーテのいまわの言葉をもじって、たしかに「必死に相方を探している言葉」に思える。「カルピスが薄いから」この言葉もインパクトがあるのだが、このままでは片言であり、やはり相方を探している。このような「寂しそうな、相方を探しているようなフレーズ」をぶつけたときにはじめて二物衝撃といえる俳句になるのか、とこの句を読んで思った。ほんとの取り合わせには意味なんて関係ないのかもしれない。
ひと退化してゐるのかもバナナ剥く 内平あとり
何気なくバナナを剥いてほおばっているときに、もう一人の自我が外から自分を見つめている。そしてまるで類人猿がバナナをほおばっている姿に見えたのかもしれない。そんなときに作者のつぶやきともいえる表白が中七までに書かれている。たしかにバナナを剥いて食べている行為はほかの果物を食べている姿より、より原始的な感じがするではないか。
六月のバージンピアスと片想 熊谷嘉恵子
用言は一つもなく、切ないものを並べている。六月もなんだか切ない上に、バージンピアス、女子が初めてピアスを開けるときはそれなりに覚悟みたいなもんがあるようだ。最近の女子にはないかもしれんが。仕事がら何十回もピアッサーでこともなげに、きわめて業務的にやっているが(開ける前に「痛いですかー」とか、「キャーキャー」言ってこうるさい)。ツボ(針きゅう)の世界や占いの世界ではここに穴をあけると人生変わるとか、太るとか、男運が上がるとか、都市伝説はいっぱいある。片想いは今回の句会であるから出したのであろうが、バージンピアスを俳句に取り入れたのは手柄である。
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