俳句集団【itak】第26回句会評①
2016年7月9日
橋本喜夫(雪華、銀化)
今回も50人弱ということで、めでたし。一部の恋句トークショーに対するオマージュなのか、恋の句が多かったのもうれしい句会でした。主宰業なんてやると、俳句ばっかりみてるうちにハイクドランカーのようになってしまい、どんな句にも打たれ弱くなってしまうみたい。だからたくさん採ってしまうかも。それではさっそく。
黒南風に詰め放題の不幸かな 室谷安早子
一読黒南風をあたかもダストボックス、ポリ袋のように比喩的に用いて、詠嘆している「不幸」がかなめの作品である。とはいっても諧謔があって、暗い句ではない。梅雨時の暗鬱な南風が巨大な袋であるならば、たしかに不幸は詰め放題であろう。折しも、大地震で地盤が緩んだ後に、信じられない大雨、長雨を食らっている地域があるのは言うまでもない。
ひとり居のとろりざらりと水ようかん 栗山 麻衣
中七のオノマトペがコアの作品。はじめの「とろり」は上五の「ひとり」と呼応して、音調が良い。「ざらり」は存在感があり、たとえ一人でも「ここに在り」という作者の気概みたいなものが読み取れる。そして水ようかんで舌ざわりが「ざらり」と来るやつが確かにある。前半は口承性を、後半はリアルさを呼び覚ますオノマトペである。
噴水は働いてるぜコカコーラ 酒井おかわり
まず座五のコカコーラがあたかも季語であるかのように座りがよい。逆に噴水という季語が365日あくせく働いている人間たちをメタファーしているかのように使用されている。またコカコーラをよく振ったあとに栓を抜いた時の吹き上げる感覚と噴水がアナロジーでつながっている。「働いてるぜ」の口語調がトイストリーのウッデイーのセリフのようで、十分機能している。
仲直りして薄味の豆ごはん 高畠 葉子
中七の薄味を 「健康を考えている愛情」と取った読者もいるようだが、やはりここはニヒルに取った方がいいだろう。仲直りしたばっかりだけど、旦那に出した豆ごはんはいつも通り(?)に薄味で、味気ないものだった と読む。ここに微妙な夫婦生活が見え隠れするし、かといって不幸な家庭や火宅では「豆ごはん」は似合わない。
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