『 りっきーが読む 』 (その2)
~第5回の句会から~
三 品 吏 紀
太陽は静穏なりし冬の闌け
・冬至を過ぎれば一日一日と少しずつ陽の時間が長くなる。
とはいえ、北国にとって一月・二月は最も寒い季節。-20℃以下も地域によっては珍しくない(しかし-30℃以下まで下がった時はさすがに厳しかったと思うが)
真夏にはジリジリと音を立てて、厳しい日差しを浴びせた太陽も、今や遠い彼方から微笑むように自分達を優しく包んでくれる。 まるで慈母の様である。
ちなみに北国の冬の静けさというのは二種類ある。
一つはしんしんと雪が降り続け、音という音すべてが雪に吸い込まれてしまう静寂。
そしてもう一つは、晴天でも気温が極端に低く、生き物すべてが鳴りを潜めて音一つ立たない静寂。 この句はこちらに当てはまるだろうか。
同じ静寂でも似て非なるものである。
エンディングノート眺めし四日かな
・エンディングノートとは、自分に万が一の事態が起きた時に治療の方針やその後の事、家族友人達への伝言などまとめた物である。
この句は近い過去に近しい方を亡くしたのだろうか。その影響もあって自らエンディングノートを書いたのだろう。元日に思い立って書いた物を、少し時間を置いて読み直しているといったところか。
身近で「死」が訪れると、嫌でも自分自身についても考えねばならなくなる。
今後の生活や自分が死んだ時の事、これをきちんとしておかないと、後に残された家族に大きな負担がかかってしまう。 下手をしたらその負担を巡って、実の親兄弟でも深い亀裂を生む事だってあるのだ。
「死」とは決して遠い物でも他人事でもない。老いも若いも関係なく、常に私達の背に付きまとっている。
そういう意味で、この句はとても現実的な問題を提起している句ではないだろうか。
着ぶくれし君へ恋唄うたはんか
・普通、気のある男女が会うときはお互いを良く見せる格好をしているものだが、この「着ぶくれ」という語はどうみてもお洒落とは縁遠い感がある。
コタツの中で股引半纏、毛糸の靴下でフル装備、といったところか。
あまり、というか絶対に彼氏彼女に見られたくはない姿の一つであろう。(たぶんネ)
しかしながら、キザな姿で言うクサいセリフより、ダサくても素のまんまで語る真摯な言葉の方が、よほど相手の心にグッと響くのではないか。
ちんぽじの御一大事なる出初
・あぁ、これは……(笑)
男は普通、股間の「位置」がちゃんと収まっていないと非常に動きづらいのである。
走る・自転車こぐ・胡坐かく、そんな些細な動作でも収まりが悪いと100%の動きが出来ないどころか、場合によっては痛みさえ伴うのだ(圧迫されてこう…ネ)
出初の動きは激しい上に高所で行うため、”ポジション”が悪いと集中力が乱れ、落下するという危険も出てくる。 そう、御一大事なのである!(笑)
おふざけ句にも取れるが、男性特有の悩みが垣間見える句でもある。
ともあれ、「ちんぽじ」という言葉を使った勇気に感服(笑)
人恋ひて見下す川に雪が降る
・僕は旅行をする時、大抵は一人旅だ。
好きな時に好きな所へ自由に行ける。誰にも気を使うことなく、好きな事が出来る。 一人旅の醍醐味だ。
旅の始めは色々な目的や期待で気持ちが昂揚しているが、旅の終りになると不意に「あ。自分は今、知らない街で一人なんだ」と急に自覚してしまうことがある。
自分が異邦人だと改めて意識したとき、猛烈に孤独感が募り、人恋しくなるのだ。
しかしそれも束の間、川に降る雪のように跡形もなく流れていき、そして何事もなく日常に戻ってゆく。
同僚と同じセーター着てをりぬ
・この句を読んだとき、「同族意識」と「近親憎悪」の両極端な言葉二つが頭をよぎってしまった。
昨今は安価でデザインも機能性も良いセーターや防寒着が多く出回っている。 自分と同じ服を着ている人とすれ違うのも全然珍しくない。
自分と同じセーターを着ている同僚。
「おっ?お前もあの店で買ったのか?」なんて仲間意識を持つのか、それとも「何だよ、オレの真似しやがって。けっ」なんて偏狭なところをだしてメラメラとなってしまうのか。
いずれにせよ、これは日常のワンシーンを切り取った、個人的に好きな句である。
(その3)に続く
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