~コロナ禍に始まる閉塞と分断の時代に向けて~
俳句集団【itak】代表 五十嵐秀彦
今回の新型コロナ・ウイルスの世界的な感染拡大によって、緊急事態宣言が出てそれにともないあらゆる活動の自粛が行われています。特に不要不急の外出はひかえるということが広範囲に広がり、私たちの日常生活が大きく変化したこの数か月となっています。
新型ウイルスが感染者の一部に致命的な症状を起こさせることが明らかになったために、自粛等は当然取るべき対応ではありますが、そのことによる社会の在り方の変化は、全国的な災害の発生と等しいものと言ってもいい状況になりました。
東日本大震災にも匹敵する災害の中にいま私たちは生活をしています。
これまでの災害は、人々の団結と互助によって乗り越えてきたのですが、今回のものは人々が個々に孤立するという対応となっているところに大きな問題を抱えているようです。
座という「場」は実際に顔を合わせて、そこで心を通わせながら言葉で遊ぶということでありましょう。かつてより「座の文芸」と口では言いながら、実際にはその性格が希薄となり、紙媒体のメディア・俳誌の発行のための俳句団体の運営が中心となっているのが一般的になってしまっています。
文化活動が甚大な影響を受けているのは、皆さんご存知のとおりです。あたかも不要不急の代表のように扱われていることに不満や不安、違和感を持っている人も多いことと思います。
私たち俳句集団【itak】は、座の文芸と呼ばれる俳句の原点に回帰することで、文芸活性化の起爆剤となろうとして旗揚げし、それを目標に活動継続してきております。
それはそれで意味のあることではありますが、別な角度からかつての鎌倉~室町時代の辻連歌のような自然発生的な座を現代的な形で復活させようとしているのが、俳句集団【itak】です。 その姿勢はこれからも変わりありません。
この自粛社会が再び以前のように自由な社会に戻った時には、これまで以上に活発に活動を再開する予定でおります。
ただ、そこに不安もあるのです。
ネット社会を活用するということで、直接に会うことのできない不便を埋める動きが強力に進められていますが、「これからもこれでいいのではないか」という雰囲気が社会に広まることに私は強い危惧感を持っています。
不安感に煽られるながら変化する社会にあって、「座の文芸」はますます形骸化するのかもしれません。
今後、再び以前と同じ自由な社会に戻るのであれば時間の問題でしかないのかもしれません。あるいは、そうではなく「自由を制限された社会」「個々に分断されネットに監視される社会」が到来するのかもしれません。今は、だれも正確には予測できない状況です。
私たち俳句集団【itak】は、状況を分析しつつ今後の活動の再開を模索し、これからも「座」の復権に力を尽くしてまいります。なぜなら「座」こそこの国の民衆の力であり、文化の基盤であるからです。
皆さんの協力なくして俳句集団【itak】は存在いたしません。
今後もご支援いただきたく、よろしくお願いいたします。
(2020.5.16)
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