2015年4月9日木曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第18回の句会から~ (その5)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その5)


 ~第18回の句会から~

橋本 喜夫 



 鳥語にも外語あるらし春の山    安田 豆作

春の山で聞く、鳥の声。なんか聞きなれない声もする。観光の中国人だったりすることも。最近は動植物が外来生物によって席捲されつつあり、生態系の乱れも言われている。ほんのすこしシニカルな味もある句。
 
 ポケットテイッシュ縒りて栞に春の雪   遠藤ゆうゆう

この句も春の雪の季語の恩恵はうけているが、戸外で読書して栞がないとき、ペーパーをひも状にこよってたしかに栞にしたことがある。これもトリビアルな視点だ。ただテッシュペーパーをふわっと握った触感感覚と春の雪の感覚はやはりアナロジーがあり、共感できる。

 啓蟄やかれらもわれも宇宙の子      内平あとり

小川軽舟に アトムの句があるが、それに似てなくもないが、蟲だしの時期。地を這い出る虫も、蛇も、人間である自分もみな宇宙の子であるという内容。のうてんきでもあるし、けっこう大柄なつくりでもある。啓蟄が微妙に生きた句である。

 詩を書いてゐた三月の詩が残る      堀下  翔

「三月の真冬日にゐてわが詩病」という拙句があるが、まさにこの句も同じ心境であろう。三月というのはどこか詩を書くというもの淋しい行為が似合う季節だ。「詩を書いてゐた」という書き出しがどこか山頭火風でとても良い。


(最終回につづく)
 
 

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