『 おヨネが読む 』 (その2)
~第16回の句会から~
栗山 麻衣
ガスの火の青き王冠時雨降る 籬 朱子
水面に滴が落ちて跳ね返った時の形を「ミルククラウン」と言うのだと、ワタクシはかつて大島弓子さんの名作漫画「綿の国星」で知りましたが、この句が指しているのはガスの火の王冠。生活感あふれる台所も、こうして表現すると美しい! 上五中七に詩情を感じます。とっても素敵な発見のある句だからこそ、ついつい、もっともっとと要求してしまうのが僕の悪い癖(@杉下右京。「相棒」絶賛放送中)。合わせる季語が時雨というのが合っているのかどうか…と一瞬思いました。火と水のさりげない対比がナイスとも思うのですが、なんというか、うーんぴったり、抜群とまではいかないような…。でも、やっぱ何かをじっくり煮ている時とか、こんな感じかなあ。やっぱいいかも!
待ち時間は電子書籍を文化の日 和佐 尚子
日常のさりげない場面を切り取り、時代を感じさせました。電子書籍がいいのは、読み終わった本がかさばらないところ。ワタクシはけっきょく紙の本を読んでいることが多いですが、読む量がハンパ無い作家や書評家の中には、電子書籍派の方もけっこういらっしゃるようです。上五の字余りはオッケーなケースも多いですし、あえてそうしたな、やるな御主と思わせられる場合もありマスが、掲句の場合はちょっとビミョーな気もしました。熟慮の末だったら、大変すんまそん。
銀河濃しわたくしという舟に乗り 松王かをり
これはずばり、ちょっと前のベストセラー「利己的な遺伝子」の世界。つうか、ずばりとか言っておきながら未読なのですが、ざっくり言えば、人間は遺伝子が遺伝子を残していくための乗り物に過ぎないという内容でしたよね。壮大な銀河の中、遺伝子もしくは何かの「気」みたいな人間の意志を越えた物質、それが自分に乗っかっている。生きることも死ぬことも一人一人にとっては大きな問題ですが、大きな宇宙の中では理不尽で美しい運命に過ぎないという思想。極めて俳句的な感性をたたえた作品だと思いました。
千年の古都に魔の棲む紅葉かな 内平あとり
摂津幸彦さんの作品「殺めては拭き取る京の秋の暮」や、三橋鷹女「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」を思い出しました。あまりにも美しいがゆえに、禍々しささえ感じさせる紅葉。掲句はその雰囲気を無理の無い言葉で描いているように思います。
(その3へつづく)
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