俳句集団【itak】第25回イベント抄録
「めくるめくアオサギの世界」
北海道アオサギ研究会代表 松長克利氏
2016年5月14日@札幌・道立文学館
◆水辺の鳥
アオサギは水辺の鳥として知られ、海や田んぼで見られます。主食は魚ですが、実は何でも食べます。両生類やは虫類、ヘビやトンボ、子ウサギなども食べることがあります。基本的には水辺にいますが、子育ては木の上です。コロニーには、春から夏までいますが、お互い近い場所にいるため、よく小競り合いをしています。今はひなが生まれる時期です。ひなは2カ月くらいで巣立ちます。
北海道の場合、3月の半ばに南からやって来ます。どこから来るのか詳しくは分かっていませんが、ベトナムなど東南アジアからも来ているかもしれない。3月半ばにやって来て、子育てが終わるのは7月。7~9月は餌場にいて、9~12月とバラバラと南に帰って行きます。
◆欧州のイメージ
まずは西洋での、人とアオサギの関係を説明します。古代エジプトでアオサギは「ベヌウ」という聖なる鳥、神様として扱われました。古代エジプトの神話では、太陽神ラーと冥界の王オシリスが登場しますが、ベヌウはオシリスの冠をかぶっており、オシリスと同一視されていました。また、「ベヌウ」という名前は「上る」「輝く」という言葉でもあり、太陽、ラーとのかかわりも見られます。ナイルの川面から陽が登ると飛び立つ。そういうところに由来されているとも思います。
もっともらしい理由を私なりに考えると、アオサギが日光浴をする際の羽根を横に広げた格好、これが太陽に向かって拝んでいる、崇拝している儀式のように見えます。このことも、太陽神とのかかわりを持ったのかなとも思っています。古代エジプトの「死者の書」、棺桶に入れられる巻物ですが、この中にもアオサギに変身するための呪文が書かれています。
さらに時代がくだり、ギリシア時代になると、アオサギは「フェニックス」になります。
アリストテレスの「動物誌」では、アオサギを生物学的に紹介しています。「交尾をしているときは目から血が出る」と書かれていますが、実際、繁殖期になると婚姻色、目やくちばしが鮮やかな色になる。鋭い観察眼で見ていたと思います。
キリスト教の影響を受ける中世に入ると、アオサギは賢い鳥として捉えられます。「動物寓意譚」というものに「死んだ者を食べない」とありますが、それはその通り。ただ、聖書の中には、事実とは違う生態も書かれており、ほかの鳥とミックスされたものも伝わっています。
ケルトの世界では、サギは特別視されていました。ちなみにヨーロッパでは、サギといえば、シラサギよりはアオサギのことを言います。ケルトのデザインには、アオサギが好まれて使われますし、神話にも頻繁に登場します。また、ケルト社会で宗教を司り、政治にも影響をもっていたドルイド僧という人たちが、自分たちをアオサギと同一視、特別視していました。アオサギは直立する鳥で、人と似た面があります。アオサギは「佇む」という表現を使いますが、スズメやワシには言いませんよね。ヨーロッパでは、アオサギを人に例えたり、生まれ変わりと見たりする文化がわりとあります。首や足が長く、可動域が多いので、しぐさや表情も豊かです。人間が見た時に、感情移入しやすく、近しい部分を感じるのではないでしょうか。
18~19世紀のアイルランドの劇作家、イェイツもその作品で多くのアオサギを聖職者のイメージとして登場させていますし、ウェールズの詩人、ディラン・トーマスは、自分の息子にケルト語で「アオサギ」という名前をつけてしまいました。
そのほか、ヨーロッパでは、飲み物、食べ物、まざまなものにアオサギの名前がついています。日本語にすると「アオサギ音楽会」というものもあります。
◆日本のイメージ
では、アオサギの日本のイメージはどうでしょうか? シラサギですが、万葉集に出てきます。
池神の 力士舞かも 白鷺の 桙啄ひ持ちて 飛び渡るらむ (万葉集・長忌寸意吉麻呂)
万葉集には4500首以上がありますが、そのうち鶴は47首あります。100分の1くらいですね。でも、鷺(サギ)はこの1首だけ。すごく残念ですね。
平安時代の古今和歌集にはこんな歌もあります。
高島やゆるぎの森の鷺すらも ひとりは寝じと争ふものを (古今和歌集・六帖)
アオサギのコロニーの中での状況、春先のオス同士の争いの様子でしょうか。
枕草子にもあります。
「鷺は いとみめも見ぐるし まなこえなども うたてよろづになつかしからねど ゆるぎの森にひとりはねじとあらそふらん をかし」 (枕草子)
とても見た目が見苦しい、まなこえ=目つきも見苦しい、とにかく可愛くないと書いている。清少納言の個人的な感想かもしれませんが、人気の書物ですから、その見方は当時の人々が抱いていた鷺のイメージに大きく影響したのではないかと思われます。
いかなれば ゆるぎのもりの むら鷺の けさしもことに 立ちさはぐらん (新千載和歌集・入道二品親王覚性)
ゆるぎの森は、琵琶湖のほとりにあった有名な鷺のコロニーです。新千載和歌集は室町初期ですが、この時期になると、鷺のイメージとして怪しい、不気味という気配が表れてきます。コロニーで鷺が騒いでいる、何かあるのか―といったような意味。
鎌倉時代から鷺は不気味な存在で扱われます。「吾妻鏡」には、鷺が集まって居るので何かあるのでないかと書かれている。陰陽師に占ってもらい、鷺の祭をして怒りを鎮めようともします。
江戸時代になると、とうとう妖怪になってしまう。有名な妖怪画家、鳥山石燕が描いた妖怪図「青鷺火」では、松の向こう側にアオサギが不気味に光を発している。アオサギの火、実際に鷺が光るのは、妖怪だけの話ではなく、一般的に当時、言われていた。私も光るのかなと思って夜に観察してみましたが、まあ、光らない。でも南方熊楠が、鷺が光っているというのを目撃したと真面目に書いている。状況によっては光るのかもしれません。
「うぶめ(姑獲)」という妖怪も、アオサギが正体と言われています。本来は、赤ちゃんを身ごもったときに亡くなってしまった人、出産で死んでしまった女性の霊が「うぶめ」と言われました。それが、中国で「姑獲鳥(こかくちょう)」という、夜中に子どもをさらっていく鳥のおばけと一緒になってしまった。姑獲鳥と書いて「うぶめ」と読む。確かにアオサギは夜、鳴きながら空を飛ぶので、そのようなつながりを持たれたのではないでしょうか。漱石も作品の中でアオサギを取り上げており、現代も、妖怪と密接に関連づけられて小説にされることが多いですね。京極夏彦さんもデビュー作で、アオサギを登場させています。
◆和歌・短歌では
日本では、アオサギにはそのようなイメージがありますが、短歌と俳句はそうではなく、淡々と写実的に描かれています。そこが俳句、短歌の魅力の一つです。
いりしほの ひかたにきゐる みとさぎを いさりに出る あまかとやみん (新撰六帖題和歌 藤原知家)
しもこほる すさきにたてる みと鷺の すがたさむけき あさぼらけかな (夫木和歌抄 寂蓮法師)
霜むすぶ 入江のまこも すゑわけて たつみとさぎの こゑもさむけし (夫木和歌抄 前大納言忠良卿)
朝まだき 淀野のまこも 末分けて たつみとさぎの 声もさむけし (夫木和歌抄 藤原忠良)
鎌倉時代ですが、「みとさぎ」はアオサギのことです。「みと」は「水の門」、水に関わる鳥、もしくは「緑鷺」かもしれません。最初の和歌は、漁に出ている人と漁師とアオサギを見間違えたという作品。実際、私も海の調査で、遠くを見ると人と見間違えることがある。二つ目、三つ目は同じような歌です。源氏物語の中で、このような状況がすでに書かれています。
「山の方は霞隔てて 寒き洲崎に立てる鵲(かささぎ)の姿も 所からはいとをかしう見ゆるに~」 (源氏物語)
源氏物語の「浮舟」の中で出てきますが、ここでは鵲「かささぎ」です。かささぎはアオサギとは似ていませんが、アオサギの頭の後ろにあるポニーテールみたいな飾り羽がありますから、それを「笠」と見立て、そこから「笠サギ」となったのかもしれません。紫式部が、間違えたのか、あえてそうしたかは分かりません。
近代に入り、子規の歌です。
久方の 星の光の 清き夜に そことも知らず 鷺鳴きわたる
足なへの 病いゆてふ 伊予の湯に 飛びても行かな 鷺にあらませば (正岡子規)
まだアオサギは出てきません。東京で詠んだ句ですが、東京には鷺はいませんでした。今でこそいますが、昔はいなかった。だいたい鷺は白鷺のことです。声をイメージできますか? 場所によっては澄んだ声、きれいな声に聞こえる。2首目は、温泉を題材にした歌。実際に道後温泉は白鷺に縁があります。道後温泉は、傷ついた白鷺が傷を癒やしたところが発祥です。道後だけではなく、鷺にゆかりにあるのは全国各地にあります。実際に足湯に入るアオサギもいます(写真)。山口県津和野にある温泉です。北海道にも温泉のすぐ脇に巣をつくるアオサギはいます。
与謝野晶子は、はっきりとアオサギと言っています。
白百合のしろき畑のうへわたる 青鷺づれのをかしき夕べ (与謝野晶子)
槙もやや光る葉がひを秀に佇ちて青鷺の群のなにかけうとき
蒲の穂のさむざむ明る沢の曲鷺多くゐれど声ひとつせぬ (北原白秋)
白秋のアオサギですが、「けうとき」とは、何か不気味だという意味です。やっぱり、妖怪のアオサギを意識しているのでしょうか。
鷺は川とのセットでイメージされます。幕末の探検家、北海道の名付け親でもある松浦武四郎の「石狩日誌」などにも、何度かサギが出てきます。アオサギではなく、漠然と「鷺」と出てくる。
「白鷺の立を知るべに今日幾瀬心ゆたかに歩行わたりせり」 (松浦武四郎、石狩日誌)
上川の愛別あたりを石狩川に沿っていたときに鷺をみた歌です。北海道では今、白鷺は、まずいません。最近は少しずつ見られてきていますが、北海道で鷺といえばアオサギです。でも、昔は違っていた。後志・羊蹄や発寒のほうでも、アイヌの人たちが使っていたサギを取るための罠があった。北海道でも昔は白鷺が多かったと思われます。ただ、「久摺(くすり)日誌」には「山には鶴多く巣をなし」とあります。鶴は山には巣は作りません。水辺に作ります。山に作るのは、アオサギの可能性が高いのではないかと思います。鶴とアオサギを間違えたのではないかとも思います。久摺とは釧路地方、別寒辺牛のほうです。1960年には、アオサギのコロニーは六つしかありませんでした。今はほぼ全道各地にあり、現在、1万羽くらい。2000年には、75コロニー、4500巣を確認しています。コロニーは増えたが、小さいコロニーが多いので、コロニーの増加数の割には、生息数は増えていません。
◆俳句では
俳句の話もします。サギに関する9句ほどを挙げてみました。
① 昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ (芭蕉)
② 青鷺の叱と鳴つつけふの月 (嵐雪)
③ 鷺ぬれて鶴に日の照(る)時雨かな (蕪村)
④ 夕風や水青鷺の脛をうつ (蕪村)
⑤ 鷺烏雀が水もぬるみけり (一茶)
⑥ 烏鷺に似し客二人あり夏衣 (碧梧桐)
⑦ 翡翠も鷺も来て居る柳かな (子規)
⑧ 夕嵐青鷺吹き去つて高楼に灯 (虚子)
⑨ 洲に立てる青鷺ひとつサロマ川 (秋桜子)
①は芭蕉の句です。アオサギもちゃんと目を閉じて寝ます。②の嵐雪の句ですが、アオサギもいろんな声を出します。あいさつの声やけんかする声、求愛の声など。意味がよく分からない声もあります。③④蕪村の句は視覚的な句です。この場合は、鷺といっても、ぬれているのが白鷺では絵になりません。アオサギは箕をかぶっているように見えます。もう一つの句は有名な句ですが、いかにも涼しそうですね。
⑤⑥一茶と碧梧桐の句です。鷺と烏。烏鷺は「うろ」と読みます。この場合は明らかに白鷺です。対になっているのは白い鷺と黒いカラス。鷺と烏は、室町の御伽草子にも出てきます。鴨川のサギ(水辺の鳥)と祇園の烏(山の鳥)が合戦をします。白と黒ということで「烏鷺の戦い」は「囲碁を打つ」ことも意味します。
⑦子規の句。カワセミと柳はありふれている句ですが、そこにサギが入っており、なかなかゴージャスな句です。カワセミとサギは、実は世界中でいろんな民話、昔話に良く出てきます。「小さい」と「大きい」、「すばやい」と「ゆったり」と対比がしやすいのだと思います。
虚子の句は、アオサギが碧梧桐で、高楼が虚子で、漠然と虚子の勝利宣言に思ってしまいます。
秋桜子は北海道が題材の句です。これを詠んだ時代には道東にもアオサギが普通にいたのだと思います。
◆北海道とアオサギ
北海道と縁のある話しをします。更科源蔵の「蒼鷺」という詩があります。戦中戦前の古い時代ですが、十数年前に合唱曲になりました、今では中高生の合唱曲として人気があり、文化祭でうたわれています。(「蒼鷺は動かぬ」との言葉もあり)アオサギが死んだのではないかと考える人もいますが、そうではありません。確かに寂しい内容ですが、更科源蔵本人が、釧路湿原にアオサギがいたのを見たことを詩にしたものと書いています。源蔵は弟子屈の開拓民だったのですが、地に足をつけて、その土地から動かない、忍耐力のある開拓民の姿をアオサギに託して詩にしたと言っています。決してアオサギが死ぬ歌ではありません。
「アヲサギは忘れられたもののように沼あたりに立つてゐるのは、何かうらぶれた淋しい姿である。ペッチャコアレとは川端に立つてゐる鳥といふのである」 (「コタン生物記、更科源蔵」)
ペッチャコアレがアイヌ語でアオサギのことです。「〇〇カムイ」という名はついていませんが、さりげなくてアオサギらしいともいえます。
最後に、万葉以前の人々のアオサギに対するイメージはどんなものかを紹介します。サギの名前の由来を調べることから、人々の見方が見えています。
由来については、これまでいろんな説がありますが、江戸時代、1717年に新井白石が、「騒がしいから」と言っています。騒ぎ「さわぎ」の「さ」が消滅したものと言っています。現在になると、沢+ギ(鳥の語尾)という説があります(栄川省造「異説鳥名抄」)。トキ、シギなど「ギ」は鳥の語尾につきます。これは採用しても言い説かなと思います。ただ、「沢」は少し安易かなとも思います。
弥生時代の銅鐸ですが、田んぼと関連する絵が描かれています。鳥もいますが、以前は鶴ではないかと言われていましたが、最近はサギではないかと言われています。穀物の神様、田んぼの神様がサギではないかと。穀霊そのもの、神のお使いがサギではないかという説もあり、なかなか面白い説だと思います。
「サクラ」「皐月」「早苗」「早乙女」「五月雨」
ここにあるのは、田んぼに関わる言葉ですが、カタカナにすると、すべて「サ」に始まる言葉です。田んぼの神様は昔は「サの神」と言われた。「サの神」は、元々は冬の間は山の神様で、田植えが始まると田んぼに降りてくる。神様が降りてくる場所が、サクラの上。「クラ」は神様が降りるところ。サクラの下で、稲の豊穣を願う。それが本来のお花見です。サの神を中心としたエコシステムの中にサギがいるのは当然のことともいえます。サの神のお使い。サの鳥(ギ)だというのが私の考えです。
でも、これはサギの話であって、アオサギの話ではないという見方もあります。ここで考えなくてはならないのは、「青」の意味合いです。実際に、アオサギは背中のほうは青みがかってみえます。古代日本語としての青は、現在のような鮮やかな青ではなく、白と黒の間色。ぼんやりと灰色系の色を青といっていた。色彩の「青」は一部分のことで、霊的な意味で「青し」と使っていました。「サの神」の鳥としては、白鷺よりもアオサギのほうがふさわしい、資格があると思っています。多少こじつけかもしれませんが、そういうところがあってもいいではないでしょうか?
古今東西、アオサギと人とはいろんなかかわり持ってきました。今では、アオサギに近くに巣をつくられると、エイリアン的な扱いを受けて、駆除の対象となってしまいます。でも、いろんなイメージを持ってもらいたいし、少しでも親しみを持ってもらいたい。エイリアンではなく、隣人として付き合ってもらえるとうれしいですね。
松長克利(まつなが・かつとし)
1965年、愛媛県松山市生まれ。子規と同じ小学校、高校を卒業後、北海道の土地 と自然に憧れ北海道大学に入学。大学でアオサギの生態の研究を始め、卒業後の2001年に北海道アオサギ研究会を発足、現在に至る。この間、80ヶ所余りある全道のアオサギ生息地をくまなく踏査するとともに、観察会等の地域活動を行い、 アオサギと人が共生できる社会のあり方を模索、提案しつづけている。
北海道アオサギ研究会 http://www.greyheron.org/
☆抄録 久才秀樹(きゅうさい・ひでき 俳句集団【itak】幹事・北舟句会)
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