俳句集団【itak】第21回句会評②
2015年9月12日
橋本喜夫(雪華、銀化)
井の中にきちかう落ちること速し 堀下 翔
さーっと読んでゆくと老成した句。客観写生の句。ととれるだろう。「若さがない」と言われかねない。しかしながら、この句のコアは「速し」である。井戸の暗闇のなかに、桔梗の花びら、おそらく「夕暮れのようなむらさき色」が落ちてゆく。それも「速し」ということで逆にストップモーション、あるいはスローモーションのようにいろいろな角度を見せながら暗闇の中にゆつくりと落ちて行くのである。彼の最近の傾向としては「新しき客観写生」を目指しているのであろうと推察する。「桐一葉日あたりながら落ちにけり 虚子」「雁も舟も海峡わたるとき迅し 石原八束」などの先人の作品に新しい何かを付け加えたいのであろう。
ごみ箱は透明空き缶と秋思と 古川かず江
私は「人」で頂いた。ゴミ箱が透明だと何かよいことがあろうか。そうゴミの選別がよりわかりやすい。缶や瓶の専用ゴミ箱であれば入れる人がすぐにそれとわかる。外から見てそれを守っていない人がいることも一目瞭然である。透明なゴミ箱の空き缶専用のところに、まちがってペットボトルを入れたとしよう、すこし心が痛むのではないか。春愁も秋思もそんなものかもしれない。「澄む」ということ、「透ける=透明」ということが必ずしも「爽やか」だけに繋がらないのだ。
パンストのパンより秋の深まりぬ 青山 酔鳴
「たんぽぽのぽぽのあたり」 は「ぽぽ」という響きと、火事(火が点く)とがどこかで関連ある感じがするのだが、この句の場合は、パンストのパンはパンテイーの部分だし、ストはストッキングの部分のような感じがする(どうでもよいのだが)。つまりパンテイをつけたあたりの「あそこ」の秋が深まる的な、少し意味深な内容にもとれる。考えすぎか。
パレットに一色残し夏了る 天野 浩美
既視感がないわけではないが、気持ちの良い作りにはなっている。秋の海の青色が一色パレットに残っているのか。いずれにしても「夏了る」の季語がそんな夏の終わりをつげるような鮮烈な青を彷彿させる。
(つづく)
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