2015年7月29日水曜日

俳句集団【itak】第20回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第20回句会評③

  
2015年7月11日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 夏至の夜やあまたの乳房もつ女神    青山酔鳴

 夏至の句よりも「夏至の夜」の句のほうが作りやすい。ターゲットをしぼれるせいか。夏至の夜のエネルギーや怪しさ、妖艶さ、かといって明日からまた衰える滅びの美学みたいなものを内包している。女神はギリシャ神話かインドあたりのおどろおどろしい神かもしれない。私は人間の女を題材にしてもよいと思った。哺乳類にはミルクラインというのがあり、それに沿ってたくさん乳房や乳頭がある女性がいる。私は脇の下に乳房、乳頭のある患者を何人も診察している。だから「夏至の夜やあまたの乳房持つ女」だったら採っていた。あぶなく酔鳴の餌に引っ掛かかるところであった。私は俳句の読みはいかんせん「だぼはぜ」である。

 ほととぎす座薬しずかに沈めゆく    五十嵐秀彦

 座薬という俗なるもの、そして健康のために必要なもの。なかなか句にしずらい。というか俳句に出してくること自体があざとい秀彦調だ。二つのうまい表現がある。「しずかに」 は俳人ならだれでも使う便利ツールでこの句でも有効的だが、無視して進める。まず「沈めゆく」である。これが「沈めけり」でも「沈めたり」でもいけない。なぜか「けり」や「たり」なら 動作の主語は人間になり、作者(秀彦自身)が座薬を挿しただけのことになる(何の詩もない光景)が、「沈めゆく」だと動作の主語が座薬かもしれない、つまり座薬が自ら沈んでゆくようなシュールなイメージが湧く。もしくは作者自身でない他者(英語でいうtheyみたいな感じ)が主語かもしれない。とにかくイメージに「ゆらぎ」が生じる。これで80%はできたようなもの。あとはどんな季語を選択するかだ。「ほととぎす」これはかなり良いと思う。採れなかった人は短時間に なぜ ほととぎす??と思ったからだろう。この場合植物や花だといけない、雅(みやび)すぎる。動物なら虫、キリギリスなどはいけない。グロテスクすぎる。亀鳴くや蛙でもだめ。諧謔すぎる。「ほととぎす」一番病気が似合う鳥を持ってきた。褒めたくないが、さすがである。なぜ私は採らなかったか?秀彦の句と思ったからである。句会はこんな基準で選句してはいけません。あしからず。

 とりどりの尻の器量や田植うた    増田植歌

 最高点句である。限られた時間の句会ではこういう句はとられやすい。まずわかりやすいし、可笑しい。景がすぐ見えてくる。俳句を読んで一枚の絵をイメージさせたら、掲句はみな同じ絵を描いてくれるだろう。「尻にも器量がある」という見立てのよさと、「とりどりの」の上五が絶妙。よりどりみどりの器量の尻が並んでいるのがわかる。田植うた なので実景ではないであろう。たしかにお尻美人というのがいて、上を見るとがっかりすることが多々ある。採ったひとは皆男性俳人だったかどうか 記憶は定かでない。なぜ私は採れなかったか?「とりどり」と「や」が好みでなかった。というしかない。私だったら「器量ある尻並びけり田植うた」にしたと思う。つまり単に中七の「や」が好きになれないのである。そしてあくまでも私個人の好みでしかない。合評句会の難しさは特選で採れば句評がついてくることだ。だから、鑑賞が難しい句は敬遠されがちである。しかしそれではいけない。採った理由は「わけわからないけど、魅かれました」でいいのである。そうしないと「レベルが低い句会」と言われてしまう。(レベルって何???ふざけるなと私は言いたい。)いったい誰に怒ってるの??と自分に問う。

 敷藁に尻うつくしき西瓜かな    草刈勢以子

 本句会では本格的に写生の効いた句を出してくる作者。よく初心者に「うつくしい」などの形容詞は使わないほうがいいよと指導される。たしかに陳腐な形容詞はまずいが、やり方として形容詞の真逆なものを取り合わせて良い。尻という美しくないものを持ってくる(もちろん 美しい尻もあるが・・)。もしくは方向性の違うものを持ってくる。音を形容するものに光を形容したり、すればよい。さて掲句に行こう。「しきわら」「しり」「うつくしき」の「し」の畳みかけ。景のすわりのよさ。おなじ尻でも格調高く詠まれている。しかも主役が西瓜で大したものではないのが微笑ましい佳品だ。敷藁も富良野あたりの国道沿いの農家直営の西瓜売りの景を思い浮かべさせて リアルであるし、あたたかみもある。ちなみに私のすきな「美しい」を使った句は「雁や残るものみな美しき 波郷」と「汝が性の炭うつくしくならべつぐ 素逝」である。私の好みなんかみな興味ないかもね(たまに好みくらい載せてもいいよね、ただで書いてるんだから)。

 生きをればあり舌頭も白桃も    井上康秋

 「生きをればあり」まず七音使って、格調高く詠みはじめている。これがうまい。このようにはじめに先制パンチを打つ場合は、ふたつのパターンしか成功しない。ひとつはそれ以上にごつい、重たい措辞(ハードパンチ)をもってくるか、かるく肩すかし(スウェイ;揺さぶってパンチをかわす)をくらわすか。掲句は後者だ。「長く生きていればそれはあるよ  口先三寸で生きてきたこともあるし、白桃のような女を抱いたこともあるよ」と橋本のかってな口語訳。こんな感じかもしれない。おこられるかもしれないが(大丈夫 康秋さんはこころがひろいから。) さて舌頭=口先、ことば という意もある。そして舌でいただくみずみずしい白桃。この白桃も妖艶ではかない、傷つきやすいというイメージがつきまとう。いずれにしても長い人生の感懐と私は捉えて、特選でいただいた。句会当日夜二人でスナックに飲みに行ったが俳句については一切語らなかった(語るとからまれるから・・・ごめんこれは内緒ね)。

 大広間二つつなげて夏料理   久才透子


 内容を一語であらわすと「夏座敷に出された料理」を説明しているだけで終わりなのだが、とにかく気持ちがよい。「夏料理」という季語の処理(季語のあしらい)がうまい。中七の措辞で、景も見えるし、通ってゆく風も感じられる。その風に乗って夏料理のにおいも色彩も伝わってくる。俳人協会的なうまさ(季語の本意、本情に沿った句作りという意味)の句だ。これこそ現俳壇の時流でしょう。ここに現代俳句協会の青臭さ(兜太的な言い方だと既存の季語に泥まずにぶっ壊す気持ちで句づくりする)も兼ね備えてほしいというのが、私の理想ではあるが。ちなみに私は俳人協会員でもあるし現代俳句協会員でもあるので、よく両協会の悪口をいいますが、間違っているとは思いません。したがって両協会に睨まれても怖くありません。反論があればどうぞ(ファイテイングポーズ)という感じ。 

 


 
以上。私大腸ポリープ切除の入院中で機嫌がわるいのでいささか言葉が過ぎたかもしれません。苦情、反論受けて立ちますが(脅かすわけではありませんが、私は弁が立ちますので倍返しするかもしれませんし、病人ですので同情してください)、反論や苦情が多いとこのコーナーを降ろされるのでうれしいです。


※ファンレターは来ても降板要求はございませんので、この調子で毎度ガンガンお書きくださいませ!(事務局 J)


 

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