2015年6月13日土曜日

嵩 文彦さん講演「句の世界を語る」 ~久才秀樹~




嵩 文彦さん講演「句の世界を語る」
 


久才秀樹 俳句集団【itak】幹事
 
2015.5.16 札幌・道立文学館(中央区中島公園)

 
 札幌の俳人、嵩文彦(だけ・ふみひこ)さんによる講演が5月16日、道立文学館(札幌市中央区中島公園)で開かれ、嵩さんが今年4月に発表した第6句集「ダリの釘」(未知谷)や俳句、文芸に対する思いなどを解説しました。
 

「新春の脳髄を打つダリの釘」


「臓器にも春陽巡るヨードの香」


「道化師の睫毛に卵子ほろほろと」

「臍帯の巻きつく灯台海芋(カラー)咲く」      ※「ダリの釘」から

 

 道内文学界では詩人として知られた嵩さんですが、1996年、58歳で表現の場を、詩から俳句に移しました。俳句は、高校時代から興味を持ち始め、実際に作句を始めたのは学生時代(北大医学部)から。北海道新聞に投稿していたことをきっかけに、俳句選者だった細谷源二さん(1906~70年、氷原帯主宰)誘われ、氷原帯の句会に参加(会員ではなかったそうです)。当時から、花鳥諷詠ではなく「人とは違う俳句」を作っていました。

詩を始めたのも学生時代。「俳句では自分の言いたいことが言い切れない」と、1960年に北大医学部の学生が創刊した文芸同人誌「あすとら」に参加、詩を書き始めました。以来、「あすとら」の主宰を務めるなど詩人として活動してきました。しかし、58歳の時に「詩と自分を結ぶ紐のようなものを見失った」と、若い頃に親しんだ俳句に再び戻ってきました。
 
 「詩が書けなくなり、定型の俳句に戻ってみた。無重力の空間にいる宇宙飛行士にとって、歩いたり、行動するのは難しいが、重量という規制がある地球上では、逆に自由に行動できる。定型のある俳句に戻るというのは、例えるとそういうことだ」

 俳句に戻った嵩さんですが、結社には所属せず、学生時代と同じように花鳥諷詠には捕らわれない姿勢を貫きました。「自分の句は、意味を取ることが非常に難しいと思う」と自ら言うように、句集「ダリの釘」にも、予想を超えた言葉の組み合わせに驚かされる作品が多く見られます。また、「や」「かな」などの切れ字も少なく、無季の句もあります。無季と有季の句を並べることで「(俳句に)季語は必ずしも必要ではなく、無季の句でも鑑賞に堪えうる作品になることを主張したかった」と、その狙いを説明しました。詩人としてシュールレアリスムの技法を採り入れていたことについても触れ、「俳句でも、今までの伝統的な作句手法を避けたら、結果的にシュールレアリスムの『デペイズマン』の方法となっていた。意識はしていなかったが、(詩の手法と)関係があるのかもしれない」とも自己分析しました。また、俳句は集団で行う文芸、座の文芸ということにも疑問を呈し、「俳句は集団で発表したり、味わうものという人もいるが、独立した作品として完成しないのは、そうしないからできないだけだ。だから自分がやろうと思った」と強調しました。
 

 「一句で独立した文学作品を作ろうとする人が私しかいないとなると寂しい。仲間であることを確認するための句ばかり作っていたら、果たして日本に未来はあるのかと不安になる」 

 また、講演では、父親、祖父の出身地である和歌山県新宮、「南紀」の地理や風土について説明。聖地熊野、被差別部落、芥川賞作家の中上健次、大逆事件の大石誠之助、菌類学者・民俗学者の南方熊楠など、南紀の風土や人物を紹介し、「熊野の聖地の下に俗界がある。南紀は日本の中でも特異なところ。私の俳句には北海道のイメージはないが、父から聞いた南紀・新宮の話が浸み込んでいるかもしれない」と自身の背景を説明。今後の俳句について「伝統俳句にどっぷりと浸かっているのは、日本の将来にとって本当にそれで良いのかと思っている。訳の分からない句で日本を良くできるのかと言われたら自信はないが、(『ダリの釘』は)頭の体操にはなると思うので、ぜひ読んでみてください」と締めくくりました。

 
 ※今回の講演会は、「著者に聴く会」(呼びかけ人・荒巻義雄さん、工藤正廣さん、瀬戸正昭さん、平原一良さん)が、「文学館で著者に聴く」のシリーズ第1弾として開催。同会では、「今後も散文、短詩型を問わず、出版された文芸書を中心に、著者を招いて思いを語ってもらう予定」としています。


☆久才秀樹(きゅうさい・ひでき 俳句集団【itak】幹事 北舟句会)

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