『 おヨネが読む 』 (最終回)
~第16回の句会から~
栗山 麻衣
猫転送装置流行冬隣 青山 酔鳴
冬隣。秋の終わりギリギリの季語。寒くなってきて、家族の間では、飼っている猫ちゃんの取り合い、もしくは譲り合いをしています。誰の膝に乗るか、誰のお布団で寝るかはけっこう重要な問題。つまり猫の転送装置というのは、冬が近づいてきた冷気のことなんですね。すべて漢字で構成したのも、読み手にん?と、ちょっと考えさせる間があって楽しい。我が家にも、たまに転送して欲しかー。欲しかー。欲しかー。
アキレス腱触るる黒猫神無月 西村 榮一
猫シリーズ。こちらは猫と触れるか触れないか、ビミョーな感じの擦れ違い。さわさわっという感じを思い起こさせます。この黒猫ちゃん、神無月に思わせぶりなそぶりをしているということで、実は神様の代わりに来た何かの使者なのかも。
明々と月を梢に枯木立 大槻 独舟
これは言葉遊び的な、字面の解題の面白さですね。百人一首にある文屋康秀さんの歌「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ」と同じ趣向。山の下に風と書き足せば、嵐という文字になりますが、月に木と三本の棒を立てたら梢になる。月明かりに浮かぶ枯木立ちの梢。新漢語林(これも林ですね)を見てみると、梢という字のつくりの三つの棒は小さいという字から来ており、木が小さくなるところという意味らしいですが、本当は掲句のような成り立ちなのではないかと思わせられる説得力がありマス。
どんぐりの漫ろ歩きの肩に降る 長谷川忠臣
ぱっと見た時、どんぐりの降る様子が漫ろな感じなのだろうと思って惹かれました。でも、よく読むと、漫ろは歩きにかかっていて、つまり作者がそぞろ歩きしているのですね。お散歩に絶好の日和だったのでしょう。ただ、漫ろ歩きの肩にどんぐりが降ると言われると、それって痛くないのかな…と要らぬ心配もわいてきちゃったよ。ごめん。
つうわけで十六句。またもや勝手な鑑賞をさせていただきました。ふう。しかし、強制的にでも読まないとなかなか勉強しないワタクシ、大いに勉強になったワ―。貴重な機会を与えていただき、あざしたあざしたあざした。ちなみにワタクシ、彦根のひこちゃん、違った、ひこにゃんも大好きです。
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