俳句集団【itak】第25回句会評⑤
2016年5月14日
橋本喜夫(雪華、銀化)
蜷去りてまたつまらなき濁世かな 三品吏紀
時事句としても、追悼句としても読める。演出家 蜷川の蜷を季語として理解するには今ならばよいが普遍性はないだろう。蜷の道という季語があるのだからそのまま使ったらどうだろうか たとえば つまらなき濁世とならむ蜷の道 などでいいかと思う。
連絡帳種芋掘りは明日です 久才秀樹
小学生の連絡ノートだと思うが、それだけに口語の措辞が効いている。親御さんも集まって子供たちと種芋を掘るのだろうか。とてもリアルな感じがして、ほほえましい。連絡帳とか、連絡網とか なつかしいな。
芍薬の珠ひれ伏して水戸黄門 福井たんぽぽ
この作者の比喩や、ものの見方はすぐには理解できないが、芍薬の珠おそらく蕊の部分と思う。めしべ2~3本に対しておしべはたくさん取り囲むようにある。それをひれ伏すと見たのか、ボールオブビューテイーという品種ではおそらく蕊を囲んでおしべから変化した花弁がひれ伏すように取り巻いている。これを詠んだのかは よくわからない。それと「芍薬の珠」という和菓子があってとても美味そうだ。おそらく中七以下は即座にできたんだと思う。「たま」と「こうもん」何だかな~。
折れし枝水に沈めし桜桃忌 室谷安早子
雰囲気のとてもある句。折れし と しずめし どちらも し これあまりよくないと思う、過去をしめすものだし。←これだじゃれ。 おれし枝 で切れる感じがするし。折れ枝の ではどうか しずめし も 沈める または 沈むる で十分ではないだろうか。まあ好き嫌いと言えば好き嫌いだが、それだけではすまない感じがする。このあたりに活動してきた結社間の微妙な違いがあるのだ。
(つづく)
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