俳句集団【itak】第25回句会評⑥
2016年5月14日
橋本喜夫(雪華、銀化)
食卓で書く蛙の詩死なない詩 瀬戸優理子
俳句17文字に詩という措辞をいれるのは難しいし、私も自分でトライしたことあるからわかるのだが、鼻白む感じも否めない。この句はまさに十七文字の詩としていただいた。蛙の詩は現代詩てきに読みたいので「かわず」よりも「かえる」が良いと思う。中七まではまさに生活詠なのではと思う。食卓に座っていると近くから蛙の声が聞こえてきた。おもわず俳人である作者は卓上で「書き留めた」これも蛙の詩だよね。と思ったかもしれない、詠んでいる自分も蛙もいつか死ぬのだが、この一瞬「書き留めた詩」は死なないかもしれないとふと思ったのかもしれないのだ。詩人、俳人にとってはそれは至福の時でもある。
アスパラの一家をあげて早回し 頑黒和尚
アスパラの成長の速さと、一家のわが子たちの成長の速さを思ったとき、そこに相同性という比喩がうまれる。アスパラの4~5本をカメラで早回ししたら、テレビなどでよく見るが、まるでわが一家のようだと捉えるのもよいだろう。いずれにしても一家、早回しの措辞が生きている。
力むほど進まぬ二人貸ボート 大原智也
いまの若い子たちはデートでボートなんか乗るのかな?とふと心配になった。昭和世代は絶対に経験があるはずだ。わたしのように恋愛の経験が極端にすくないものでさえ、乗ったことがある。けっこう下手で、岸に無事に戻れるかとても心配だった。中七までのフレーズは普遍的によい。貸ボートの収め方もさりげなくうまい。
薫風や小川へ流す愚痴ひとつ 松田ナツ
薫風という明るくてポジテイブなもの と 愚痴というネガテイブなものとの取り合わせ。組み合わせとしては古典的なのであるが、薫風の句としては新しい取り組み方のように感じる。小川へ流す もさりげなく、ポジテイブな明日へ向かいつつある感じがしてうまい。
(つづく)
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