俳句集団【itak】第30回句会評④
2017年3月11日
橋本喜夫(雪華、銀化)
春泥を越えて結婚話かな 田口三千代
春の浮き浮き感がでる春泥をまたぎながら、まさに結婚話をしている景である。嘘くさい景とは思えないのだ。「かな」の詠嘆が結婚話にかかっているのもこの句は成功していると思う。つまり妙に 「春泥」という季語を重視していないのが良いのだ。春泥という季語は軽く扱われる方が喜ぶ季語だと思う。
口笛のスピカに届き冴え返る 石井義康
冴え返るの季語の扱いが少しアンビバレンスで面白い。「冴えかえる」という場合は、むしろ「口笛が届かなくて冴えかえる」というネガテイブな意味でつかわれるが、この句はスピカというおとめ座の首星に口笛がせっかく届いたのに冴えかえる と詠っている。
春霙犬には犬の思ひあり 高畠霊人
句会でも言ったが、中七以下のフレーズは犬好きのひとにはなかなか鉄板のフレーズである。あとは季語の斡旋だが、「春霙」なかなか良いと思った。「ずぶ濡れて犬ころ」を思い出した。
ブルースと俳句机上の蜃気楼 高橋ヨウ子
机上の蜃気楼がいいです。机のうえの荒野は寺山、わたしも机上の砂嵐という俳句を作ったことあるが、机上の蜃気楼は 新しいと思う。ブルースも良い。この句を採れなかったひとは「俳句」なのだろうと思う。ここを「モノ」で収めることができたら、人気が出たのだと思う。
のどけしや卒寿の母と土弄り 藤森美千子
句会でも言ったが、のどけしや の季語の斡旋のよろしさと、坐五の「土弄り」がとてもリアルな表現で信憑性がある。かっこつけて表現していないのが良いと思う。卒寿の母ののどかな生活が想像される。
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