2017年4月10日月曜日

俳句集団【itak】第30回句会評⑥ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第30回句会評⑥

  2017年3月11日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 啓蟄や鉛筆の芯そろへ置く   遠藤ゆき子
 
鉛筆の芯を揃えて置く とはどういう景なのか 考えてみるとふつうの三菱の鉛筆(昔ならではの)であれば鉛筆をきちんと研いで、同じ方向に並べて置く。この場合シャープペンシルの芯を4~5本出して同じ方向に並べたのではなかろうか。そうすると、なにか虫のような感じがしないだろうか。そこに「啓蟄」の季語が生きてくる感じがする。
 
 
 生きものの色を集めて牡丹雪   ふじもりよしと
 
生きものの色を集めると、なんで牡丹雪になるのであろう?とか牡丹雪の白い色がはたして生きものを集めた色なのであろうか? とか読者が??を頭で考えているうちに作者の術中にはまるのである。こういう独善的な比喩的な表現が俳句ではぜったいに必要なのである。思えば 白はひかりの三原色をあつめれば白くなるのではなかろうか。
 
 
 鳥雲に大霊界は果ての果て    三品吏紀
 
大霊界という言葉久しぶりに聞いた、丹波哲郎いまごろ大霊界でどうしているのであろうか。鳥雲に の季語に大霊界という言葉の取り合わせ悪くないと思う。問題は「果ての果て」なのだと思う。これは作者もおそらく気づいているはずだ。たとえば 鳥雲に入りて大霊界に棲む とか徹底的に
虚に持って行くという手もある。
 
 
 弥生なり十日十一日炎(ほむら)  五十嵐秀彦
 
三月十日は東京大空襲。十一日はご承知のとおり東日本大震災。弥生なりが逆に気になった。本来は陽暦4月なので。ここは「三月や」でいいのではと。日本にとって忘れてはいけない日が二日続いていることは大きな発見でもあるので、大事な俳句だと思う。
 
 
 新しき電柱並ぶ弥生かな    村上海斗
 
三月末の年度末には決算時期でもあり、予算執行もあるので意味なく新しいものが出来上がる。電柱が新しくなっても不思議はないのだ。弥生は「いやよい」の意味で、新しものがにょきにょき立つのはとても共鳴できる季語なのだ。
 
 
 黒鍵の艶めきだして冬終る   平野絹葉
 
ピアノの黒鍵を詠むことはけっこうあると思うが、「艶めく」と詠んだのは過去にはないのではないだろうか。たしかに黒光りした感じは、末黒野も想像されて「春」めいた感じである。そういう意味で「冬終わる」はするどい季語選択だと思う。
 
 
馥郁と蕊を反らせて臥龍梅     増田植歌
 
北海道の人間なかなか臥龍梅は詠む機会がない。そういう意味では名古屋在住の作者ならではの詠みである。中七の「蕊を反らせて」という措辞。馥郁という措辞。どれも臥龍梅のありようを的確に写生していると思われる。

 
◇◇◇
 
以上さくさく 今までの中で最短時間で終了。たくさんの句をあっさり触れることに終始してみました。今回はこれで勘弁してください。(了)
 
 
 

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