俳句集団【itak】第27回句会評③
2016年9月10日
橋本喜夫(雪華、銀化)
一読文学館へのたいへんうまい挨拶句だと思った。窓一つ一つに伝う秋霖が見えるようである。ただ挨拶句ではじめてきた場所や建造物にたいして「○○いくつ」のパターンはあるように感じた。とはいってもとても佳くできた挨拶句である。
天高しスポンジ交換しなくては 福井たんぽぽ
「天高し」の秋の晴れた日に、作者は「スポンジを交換しなくては」と言っている。たとえば台所で仕事して、あーあースポンジがしょたってきたから新しいの買わんとね と思っているのだ。「天高し」 としての取り合わせがまったく無理なく飛翔している。二物衝撃はこれでいいのだと思う。鷹羽○行ならば、スポンジは室内の景、天高しは屋外の景とか言って文句言うんだろうな・・むむむむ。
冷やしたる無花果どこか尻子玉 増田 植歌
句会場でのハルさんの句評に笑ってしまった。あの口から「肛門」を4回ほど連発していたのだ。またしても「尻の植歌」の面目躍如たる作品。「尻子玉」はハルさんが説明していたように「河童が肛門から抜くと抜かれたひとは腑抜けになってしまう伝説の架空の臓器(玉)」である。玉というからおそらくは「あの玉」から発想した伝説なのではと私は想像している。さて掲句「無花果どこか尻子玉」ここはとてもいいと思った。問題は「冷やしたる」。想像するに尻子玉が強烈な措辞なので和らげようとして大人しい措辞にしたのではと。しかしこれだと強烈な言葉が逆に浮いてしまう感じがする。好みではあるがやはり「割れかかる無花果どこか尻子玉」くらい強烈にかましても言いのではと 思う。そんなこと思うのは(もしかして俺だけかしら)と少し心配にはなるが・・・
秋冷や観光馬車の鈴の音 大槻 独舟
さすがに という感じで無理がない季語の斡旋である。観光馬車がいかにも札幌的でしかも鈴の音とくる。そうなると季語の斡旋であるが、冬の季語だと厳しすぎるし、夏だと嘘くさい上に、馬の体臭が鈴の音と喧嘩しそうだし、ここは秋でしょう ということになる。新涼はさやかで、微妙すぎるし、やや寒い、うそ寒いだと秋も深まりすぎて、何より心理描写が色濃く反映してくる。ここは「秋冷」であろう。つまり完璧な季語斡旋なのだ。
蚯蚓鳴く後生は何になるだろう 三輪禮二郎
秋の夜長、蚯蚓の架空の鳴き声が聞こえるような静まり返った夜に、作者はふと考える。こんど生まれ変わったら何になるのだろう、また人間として生まれ変われるのだろうか。それとも蚯蚓なのかもしれない。だれでも考えることだが、何気ない口語口調が表白として無理がなく伝わる。
ちちろ虫祖父の匂ひの銀煙管 松原 美幸
祖父の匂ひ がまずリアルであるし、銀煙管というモノの選択もよい。詩的リアリテイーがある。父の匂、母の匂だとありふれた感があるが、、そこで問題はちちろ虫であろう。もちろんそのときにちちろ虫が鳴いてたから と実景も強調する作者もいるであろうが、実景が必ずしも詩になるとは限らない。ちちろ虫の声はたしかに美しいが・・・・それと五感でいうと嗅覚に訴えた句なので聴覚に変換したことはとてもいいのであるが・・・私はもっといい季語がある気がする。
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