2015年12月23日水曜日

『葉子が読む』~第22回の句会から~ (最終回)


『 葉子が読む 』 (最終回)
 
~第22回の句会から~

高 畠 葉 子
 

 零余子喰ふせめて憑きもの落ちるまで  高畠 霊人
 
 先日友人と楽しんだランチは季節限定メニューだった。その中に「零余子もち」の葛のあんかけがあり、もっちりとした触感を楽しんだ。そうか。あのもちもちに絡まって憑きものは落ちるのだ。せめてと言っているが大地の滋養たっぷりの零余子を喰えば、すみずみ清清しくなるに違いない。またその事を作者は承知のうえだろう。

 
 コーヒー一杯そして眺むる海の秋    藤森未千子
 
 海を眺めるためのコーヒーなのか、コーヒーを愉しむための海なのか。何れにしてもコーヒー好きな大人の一句。それぞれの季節の海に似合う飲物はあるがコーヒーであれば秋に間違いない。一杯のコーヒーを大切に過す時間として飲むのだ。もう一点記すべきが「海の秋」だ。海そのものの秋と海に纏わるすべての物の秋を感じるのだ。心も頭もその空気のままに任せて過す。そして一句が生れたら最高!もちろんコーヒーは濃いめのホットで。

 
 公園の遊ぶ子一人冬に入る     中田真知子
 
 冬を感じる瞬間はそれぞれだろう。作者は公園に一人遊ぶ子に冬を感じた。一人遊びの子は決して寂しいのではない。一人遊びを楽しんでいるはずだ。そして、冬が好きで、雪が好きで、そんな子だ。作者もまたそんな子を眺め冬になったのだなぁと感じる。「冬に入る」の季感は厳しい季節に入るのだという身構えもあるだろう。しかし長く冬を過ごしてきた私たちは冬を愉しむ事も、快適に過ごすための知恵も道具もある。これから存分に冬を感じ詩に残してゆきたいものだ。

 
 渡り鳥嵐を追つて海こえる      高畠町子
 
 今回の【itak】イベントの前日から、札幌では「嵐」のライブがあった。街は「嵐効果」もずいぶんと有ったようだ。アイドルグループ嵐の影響力恐るべし。で、この句。もしやあの嵐をも詠んでいるのか!とにんまりしている。文字通り、秋の台風後に海をこえてきた渡り鳥とも読めるが「嵐」のライブ当日に出された句だ。街には嵐ファンが溢れ、会場近くの主要道路は渋滞、地下鉄も満員状態であった事を思えばこの句の「嵐」はあの「嵐」であるに違いない。この姿勢は大いに学びたい。俳句もライブだ!

 
 寝そべって死ぬことできる蒲団かな     橋本喜夫
 
 死という字を使った句は難しい。なかなか成功しないと思う。何度かチャレンジはするものの失敗続きの私だ。動物や植物を死なせたりできても人を死なせる句を成功させるのはめちゃ難しい。この句が軽やかなのは「死ぬ」ことできる蒲団だからなのだろう。その蒲団に寝そべれば死ぬことができる。つまりその蒲団以外では生きるのだ。読んでみるとなんてことない様に思えるが、なかなか気付けない事じゃないかな。さすがです。
 
 
(了)

 

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