『 葉子が読む 』 (その2)
~第22回の句会から~
高 畠 葉 子
初霜やつひにその本読み終へず 高橋なつみ
読み終わらなかったその本。読み終へなかった事をさらに「つひに」とまで言われると、作者は「ま、いいっか」と開き直り?かと思う。これは前向きかつ明るい開き直り。読み終えなかったからって何さ!みたいに。その本とはいかなる本かも考えてみる。ミステリーじゃあないな。恋愛小説でもないでしょ。とか。いやいや、本と言っている。小説とは限らないしね。ともかく今は読み終わらなかった本だけれどまた来年初霜の季節はやって来るって事だ。
息吐けば雪の牧場はただ広く 角田 萌
たかだか人間の発するものはちっぽけだ。目に見えるものはちっぽけだが見えないものは無限大だ。息は白く吐き出され、雪の牧場へほんのちょっとの体温を伝えた。そこには「想い」もあったはず。たとえば志とか夢とか。ただ広くの後にある作者の想いを感じる句だ。
むっつりと歩く人多き神無月 和田 由美
むっつりと歩く人。がとても良かった。たいていの大人は一人歩く時「素」になっている。その怒っているでもない。哀しがっているでもない。へらへら笑っているでもない。むっつりなのだ。顔の表情だけではなく「むっつりと歩く」その姿だ。そして神無月である意味も納得だ。深刻に季節の厳しさを思う11月でもない、暮らしの忙しさに追われる12月でもない。そんな神無月であるからこそ素の表情が「むっつり」なのだ。通勤時間帯、多くのおとなはむっつり歩いているのだ。音の字余りもまたむっつりを表現している。おとなの句だ。
風が過ぐ華を刈る斬る冬が来る 瀨祭
リズムの調子の良い句。おまけに動詞が四つ!以前友人達と「動詞をたくさん入れる句を作ろう!」というテーマを持った事があった。作ろうとするとなかなか作れないものだ。これでもかと畳み込まれるといっそ気持ちがよい。子音がU音で揃っているせいか。
カフェラテの渦巻き白し日向ぼこ 渉 千佐子
例えば赤い屋根のオープンカフェ。日向ぼこをしいながらのカフェ、佳い時間だ。カフェラテの渦巻きはラテアートか。最近私もラテアートに挑戦している。もちろん難しい。ハートを描いたつもりが誰のハートだい?と言いたくなるようなシロモノだ。ラテの渦巻きってもしかしたらラテアートの失敗作??とか失礼ながらわが身に置き換えて読んでいる。
(最終回につづく)
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