2015年4月22日水曜日

俳句集団【itak】第18回イベント抄録【㊦】



俳句集団【itak】第18回イベント

『 震災と俳句 』


講演 栗山麻衣

俳人 銀化同人・群青同人  北海道新聞記者
 
2015年3月14日 札幌・道立文学館




震災と俳句㊦ 

 ㊤に続き、栗山麻衣さんの講演「震災と俳句」の詳報㊦をお伝えします。


②これまでの震災詠

★関東大震災(1923年・大正12年)

<京極杞陽>

1908年東京生まれ。子爵の長男。「都踊はヨーイヤサほほゑまし」「うまさうなコツプの水のフリージヤ」など、なんとなく、あっけらかんとした独特の俳句の名手です。そういう印象で、エリートの人とも思っていたのですが、15歳のときに関東大震災に被災しています。震災では、お姉さん以外の祖父母、父母、弟妹を亡くすという過酷な体験をしています。1936年、28歳の時にヨーロッパ留学中に虚子と会い、俳句の道へ進みました。1940年にホトトギス同人になっています。震災忌を季語とした句を残しています。 

「電線のからみし足や震災忌」(1958年)

「燃えてゐし洋傘や震災忌」
 

この俳句を作ったときは50歳くらいになっています。阪神大震災に遭われた俳人の山田弘子さんが、京極さんについて解説した文章で「(関東大震災で被害に遭った)後になって、これだけ生々しく詠むことに対して戦慄する」と紹介しています。

京極さんは「すぐれた芸術は心の慰めであるばかりではない。それはもっと心を鎮めるものである」「何か知らないが沈黙を要する世界なのだ」(結社誌「ホトトギス」の俳論)と書いています。単になぐさめではなく、もっと深いところに届くものだと言っています。

 

「震災忌向あうて蕎麦啜りけり」(久保田万太郎、亡くなる3年前、1960年の作)

「ずり落ちた瓦ふみ平らす人ら」(河東碧梧桐)

→碧梧桐さんは51歳で被災。渡辺誠一郎さんは「淡々とした諷詠の中から被災している実感が確かに伝わってくる」(小熊座俳句時評)と評しています

 

「焼跡にまた住みふりて震災忌」(中村辰之丞、歌舞伎役者)

「天の川の下に残れる一寺かな」(永田青嵐、東京市長)

→浅草寺について書いたものです。

「琴の音のしづかなりけり震災忌」(山口青邨)

 

関東大震災(大正12年)よりも前に作ったものもあり、関東大震災の震災詠ではないかと思いますが、小説家の内田百閒も地震の俳句を作っています。

「地震多き半島国や春寒き」(内田百閒、明治42年、1909年)

「茶の花を渡る真昼の地震かな」(1934年)

 

<高浜虚子>

今回、いろいろ調べている中で、あらためて虚子のすごさを感じました。虚子は時事俳句に懐疑的です。「社会問題、労働問題を俳句として取り扱うことに疑問がある」「俳句は極楽の文学である」(俳句への道)と言っています。

時評の孫引きで恐縮ですが「あんな地震になると短い俳句で何が描かれやう、何が歌へやう(中略)さういふ場合に名句を作るといふやうな芸当は私には出来ない」(虚子消息)と関東大震災について述べています。

 

<鷹羽狩行>

鷹羽狩行さんは阪神大震災後に「関東大震災は『震災忌』という季語になっています。季語として歳時記に載っているために、少なくとも俳句を作る人は、この季語で俳句を作り、過去の震災の出来事を思い出し、死者を悼み、そして、防災の心がよみがえってくるのではないか」(俳人協会の総会)と、その季語の効用について語っています。

 

★阪神大震災(1995年・平成7年1月17日)

 阪神大震災の後にも震災詠があります。いくつか紹介します。

<永田耕衣>

「白梅や天没地没虚空没」(永田耕衣)

「枯草の大孤独居士ここに居る」(同)

→永田耕衣さんは 94歳で被災しました。神戸市須磨区の自宅が全壊。大阪府寝屋川市のホームに移り、97歳で亡くなりました。

 

<稲畑汀子>

「災害といふ枷のなほ春隣」(稲畑汀子)

「春の水甦りたる蛇口かな」(同)

→稲畑さんも兵庫県芦屋市の自宅にひびが入る被害を受けました。その際に句を残したり、新聞のインタビューなども受けています。

 

<山田弘子>

「放心をくるむ毛布の一枚に」(山田弘子)

「倒壊の屋根を歩めり寒鴉」(同)

→山田弘子さんは、神戸市で被災。大災害は免れましたが、句友らが被災しました。「円虹」という作ったばかりの結社の初句会の翌日だったそうです。さりげない中に過酷な現実の切り口が見えるような句があります。

 

<和田悟朗>

「寒暁や神の一撃もて明くる」(和田悟朗「舎密祭」)

「仏壇の転がつている冬日中」(和田悟朗「舎密祭」)

「天地はまだ裂けずあるさくらかな」(和田悟朗)

「海底へわが誕生を見に潜る」(和田悟朗)

→先日訃報が出ていましたが、和田さんは当時、神戸市東灘区の自宅で被災しました。後ろの2句は、震災詠ではないですが、今回、東北の大震災の後にこの句を詠むと、海の底のイメージが、ちょっと違って見え、身に迫ると思って、挙げました。

 

「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」(友岡子郷)

「救援のものの中より懸想文」(後藤比奈夫)

「寒餅の切口見せて高架落つ」(吉田勝昭)

  →後藤さんと吉田さんの2句は、朝日俳壇が募集した「阪神大震災を詠む」の中の句です。ちょっとユーモア、人間愛的なものだという小川軽舟さんの俳句についての言葉がありましたが、こうした句にも、確かにどこかユーモアがあり、面白いなと思いました。

 

③俳句以外の表現

<短歌>

岡野弘彦「美しく愛しき日本」

「日本人はもつと執ねく怒れとぞ思ひ、八月の庭に立ちゐる」

「怒りすらかなしみに似て口ごもる この国びとの 性を愛しまむ」

「身にせまる津波つぶさに告ぐる声 乱れざるまま をとめかへらず」

→歌会始の選者なども行っている有名人ですが、一字空けや読点を使うなどいろいろな試みをしている方です。「をとめ」の歌は、津波でも最後まで放送で避難の声を掛け続けて亡くなった公務員の女性について歌っているのかなと思います。

 

佐藤真由美「恋する言ノ葉」

「どうしたらいいのかはまだわからないから考えている今を書く」

→ポップな歌が多い人のようです。自分との向き合い方をを歌っています。

 

長谷川櫂「震災歌集」

「みちのくの春の望月かなしけれ山河にあふるる家郷喪失者の群れ」

「原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ」

「みちのくの閖上の港かなしけれ赤貝あまたあまた死滅す」

→長谷川さんは震災の後、すぐでてきたのは、俳句ではなく短歌だった、次々と短歌が生まれて一冊にまとめざるを得ないと言っていました。その在り方に批判もありますが、私の同僚記者は「取材したほうがいいかな」と言っていました。当時のマスコミ的には、震災にビビッドに反応した文学者という面がやや過剰に評価されたのかもしれません。私は「ビミョーだなあ」と思いつつ、紹介されること自体は良いことだとも思いました。何かを残そうとする試みは大事なことだと思うし、忘れ去られるよりましだと思うからです。作品については「なるほどな、ふ~ん」と言う感じです。どこから見ているのか、上から目線なのかと思ってしまいます。どうしてもテレビを見て作るので、それ以上の実感や身に迫るものはないとの批判もあります。

 

「震災三十一文字」NHK震災を詠む取材班)

「大津波は町の全てを押し流し我が子の墓も瓦礫となりぬ」

「放射能は我が家の庭に満ちゐむか姿をくらます悪魔のごとく」

「死に顔を『気持ち悪い』と思ったよごめんねじいちゃんひどい孫だね」

→NHKが、短歌を軸としながら震災に迫るという番組からの作品をまとめたものです。あとがきでは、歌人の永田紅さん(母は河野裕子さん、父は永田和宏さん)は「ガンで亡くなった母が、心身ともにつらい時期が続いていた時に言っていたのは〝歌を作ることで自分を治す″という表現でした」と話しています。

 

「渚のこゑ」(NPOのアンソロジー)

「十ばかりざっくと提げもつ泥かばん小学教諭瓦礫の中ゆく」

「此奴らをおいてはゆけぬと牛飼ひは鼻面を撫で目を覗き込む」

→ダイレクトに状況を説明しやすく、心情を述べやすく、深く突き刺さってくるものが歌にはあると思いました。俳句と比べると、その分、(読み手の)解釈の余地は少なくなると思います。

 

<小説>

川上弘美「神様2011」

  →デビュー短編「神様」という短編を、放射能汚染された世界へ置き換えたものです。

佐伯一麦「還れぬ家」

  →宮城県で被災。私小説として、父を看取る前後の生活を描いていました。震災前は現在進行形(同時進行の形)で書いていましたが、震災が起きた後に「無かったことにはできない」ということで、連載中に過去を振り返る形に時制を変えるということをしました。

池澤夏樹「アトミック・ボックス」

  →毎日新聞の連載小説。日本の原爆開発の秘密をめぐる冒険記です。

高橋源一郎「恋する原発」

  →徹底的にふざけて、言葉が硬直化する中で、ふざけた言葉で本質を語ろうとしている小説だと思います。ものが言えなくなる恐怖に対抗しても書いているのかと思います。作中に「震災文学論」という章が挿入されるのですが、そこでは小説「神様」と「神様2011」について丁寧に比較しながら、「2011」を読むときに震災前の「神様」の世界が透けて見えてくる構造を指摘。作者「カワカミヒロミ」が込めた祈りのようなものについて解説してくれます。

 

吉村萬壱「ボラード病」

  →「絆、絆」と言われることに対する違和感から書かれた小説です。少女の手記の形で進行します。子どもがどんどん亡くなったり、地元の野菜が一番としながら、お母さんが自分には食べさせなかったり、どうもおかしな不気味な世界が描かれます。「絆なんて、けっ」と言うと非国民と言われそうな今の状況、違和感、疑問を小説の形で突き詰めて考えています。

 

多和田葉子「献灯使」

→大きな厄災の後、鎖国した世界を書いた小説です。多和田さんはドイツ在住で、ドイツと日本を行き来して、両方の言語で作品を書いている人です。「献灯使」は体の弱い子どもと、死ねなくなった老人が生きる世界を描きます。ディストピア小説。SFっぽい作品で、言葉遊びもたくさんあり、笑ってしまう面白さもあります。一見荒唐無稽な物語なのですが、今の日本をリアルに照射しているかのような作品です。多和田さんの言語感覚、世界観が丸ごと詰まっています。

 

奥泉光「東京自叙伝」

→東京にいる地霊、無責任で超いい加減な地霊が、幕末から現代まで、いろんな人に取り憑いて、どう生きてきたかを語る「自叙伝」小説です。現代になるにつれて「福島原発を作ったのは俺だ」などと語る、良い意味でふざけた小説ですが、日本の今の在り方、どうしてこんな社会になってしまったのかを考えさせられる作品です。谷崎潤一郎賞を取っています。

 

いとうせいこう「想像ラジオ」

→あの津波で亡くなったらしい男性がDJとなり、ラジオ放送を発信します。生者や死者、人と人とが本当の意味で支え合うというのはどういうことか考えさせられます。

 

古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」「冬眠する熊に添い寝してごらん」

→古川さんは福島県生まれ。「馬たちよ~」は震災の後、福島に行って書いたものです。「冬眠する~」は、福島原発から着想を得たと語っています。

 

<エッセーや講演録>

池澤夏樹「春を恨んだりはしない」

→ルポを書いています。ルポであり、思索の記録です。ノーベル賞作家、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」の詩を引用しています。

「またやって来たからといって 春を恨んだりはしない 例年のように自分の義務を 果たしているからといって 春を責めたりはしない わかっている わたしがいくら悲しくても そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと」

夫を無くしたときに詠んだ詩らしいですが、池澤さんは、東日本大震災の後、この詩がリフレインのように離れなかったと言います。示唆的な言葉がたくさんありますが「今もこれからも我々の背後には死者がいる」というふうに入っています。

 

 

佐伯一麦「震災と言葉」

→自宅は高台にあり、被害を免れました。自分は、近くの温泉に行っていたときに、これまでにない揺れを経験して、家に何とか戻ったそうです。電気・ガスも止まり、水もない生活になったそうです。津波をテレビで見なかったので当初は分からなかったが、ふと気付くと窓から見た景色が変わっていて、びっくりしたと言っています。佐伯さんは、今の日本になってしまった原点は1970年にあるのではないかと考えています。福島第1原発が試運転を始め、三島由紀夫が割腹自殺をした年です。経済成長もピークとなり、本当はそこから緩やかに下降するはずだったのを認めず、原発に象徴される技術革新や効率化で乗り切ろうとしたツケが今出てきていると指摘しています。

頑張ろうとか、前を向ける人は大丈夫だが、ふて寝を決めこんだり、悲しみを抱えた人に寄り添うことが大事なのではないかとも言っています。佐伯さんの『震災と言葉』というブックレットには、佐伯さんの思索の末の講演が詳細されています。

太宰治の「ヴィヨンの妻」について、「直接描写せずとも、戦後の焼け跡の雰囲気が濃厚に漂うある種の男女の神話が描かれている。震災についても、そういう作品が出てきてこそ文学として昇華されるのではないか」と話しています。

 

2011年7月に、震災後初めての芥川賞・直木賞の取材をした際に、どちらが良いか悪いかではなく、純文学とエンターテインメントの違いというのを感じる出来事がありました。エンターテインメント小説を対象としている直木賞の選考委員の伊集院静さんは、池井戸潤さんの受賞作「下町ロケット」に対して「震災で少し落ち込んでいる中小企業を救済する良い作品という意見があった」と解説しました。

純文学を対象とする芥川賞は受賞作が無かったのですが、その議論とは別に「震災が何か選考に影響を与えたか」という記者の質問に対して、選考委員である山田詠美さんは「そのことに関してはまったくありません。なぜなら芥川賞という小説に関して、即座に何かをするものではないという認識が皆さん(選考委員)にあったからだと思います」と話し、震災が純文学の形で結晶化するのには時間がかかるのではないかという見方を示しました。

個人的には昨年、「ボラード病」や「献灯使」を読んだ際、山田詠美さんが言っていた結晶化というのは、こういう小説のことだったのではないかと感じました。

 

 

<詩、漫画>

和合亮一「詩の礫」など

→1968年福島市生まれ、在住。被災後、ツイッターで詩をつぶやく。「静かな夜です」「明けない夜はない」など短いツイートだからこそ、胸に迫ります。分かりやすい言葉、分かりやすすぎる言葉で書いたことで、詩業界からは批判もあるようです。私は震災当時、仕事で東京に住んでいましたが、震災のあまりの死者の多さに圧倒されましたし、スーパーから食べ物が無くなったり、原発の水素爆発の様子、制御しきれない様子をテレビのライブで見たり、不安な日々でした。当時、北海道の友人たちと話したりもしましたが、東京のほうが福島から近く、さらに「こと」が起こったらアウトだという感覚があり、その切迫感は強かったように思います。

そうした中で、ツイッターでぽつりぽつりとつぶやかれる詩に、圧倒的な引き返せない現実に対して泣く時間、不安を受け止める時間をもらうように感じました。和合さんがツイッターで書いた詩をまとめた作品も出ています。

 

竜田一人「いちえふ」 

→福島原発で作業したルポ漫画です。作業と日常。勝手な妄想をしがちな現場ですが、緊迫感のある作業とその中での日常が具体的に描かれ、面白く考えさせられます。笑ってしまう場面も多々あります。

こうの史代「日の鳥」

→1968年広島生まれ。原爆をテーマにして漫画「夕凪の街 桜の国」でブレークした作家。重めのテーマでも自分の丈に合わせて受け止めて表現しているからかと思うのですが、「夕凪の街」では、自分の地続きに原爆もあったのだということを実感します。他の作品も人生の悲哀をユーモアを交えつつ描き、面白いです。

「日の鳥」は5カ月後から2年半後の東北。その各地を鶏が妻を探して旅するという話です。上に絵があり、下に短い文章がある絵日記のような構成です。震災について声高には語りませんし、のんびりした雰囲気なのですが、何があったのか今どうなっているかを、断片的に鋭く描きます。

 

<写真集>

篠山紀信「ATOKATA」

荒木経惟「往生写集」「死小説」

小林紀晴「メモワール」

『ATOKATA』は震災後の東北を活写。アラーキーの「往生写集」「死小説」は直接東北を撮影したものではありませんが、震災後に出されています。

『メモワール』の著者、小林紀晴さんは、アジアを放浪する若者を描いた「アジアン・ジャパニーズ」などで知られる写真家です。「メモワール」は、オーストリア在住の写真家古屋誠一さんを追いかけたルポルタージュです。古屋誠一さんというのは、オーストリア生まれの妻と結婚し、彼女は自殺で亡くなってしまうのですが、彼女の生前、そして亡くなった時に撮った写真を発表し続けてきた人です。写真には二人の関係性や謎のようなものが深く刻み込まれているような気がします。この本は古屋さんがなぜ撮影したのか、なぜ発表し続けてきたのかに迫った本です。「見る」「撮る」ことについて深く考えさせられる本なのですが、直接震災を取り扱っているわけではありません。ただ、あとがきに、東日本大震災を撮るか撮らないかを巡る考察が出てきます。

アラーキーは、被災地には行っていません。プライベートでは分かりませんが(おそらく行っていないと思いますが)、少なくとも撮影のためには行っていません。健康上の問題もあるのですが、震災の場に行くと、自身の中にある「自分の表現にしようとしてしまう」カメラマン魂、カメラマン根性が触発されてしまうのではないかと考え、自制しているようです。「行ったらねえ、まずい、ガンガンはいっちゃうね」「だから、しばらくアーティストは沈黙していなくてはいけない」と話している言葉が紹介されます。

篠山紀信さんは「写真家は時代の映し鏡で、突出した出来事や人を撮らなきゃいけない」という信念をこれまで説いてきて「見なかったことにはできない」という思いと、「撮ろうと思いながら何もできずにうろうろしてました」というためらいとの両方について告白し、連載をしている専門誌から「背中を押されるかたち」で被災地に向かったそうです。同じく著名な写真家である森山大道さんは、「自分の生活の範囲であれば、東京で震災があれば撮るが、わざわざ行っては撮らない」という趣旨のことを語っていることが紹介されます。著者であり、写真家である小林さんの迷いも逸直に吐露されており、読み応えがあります。

自分たちが震災とどう向き合うか、俳句で何を見つめるのか、何を表現するのかしないのかを考える場合にも、示唆に富んだ言葉がちりばめられています。

 

 

④まとめ

今回の講演でいろいろな作品を読み返してみて、人の数、表現の数だけ震災があるのだと思いました。震災を他人とまったく同じように感じるのは難しい。人によっても、震災の感じ方が違うとあらためて気付かされました。だからこそ、想像力を養う必要性があり、(震災を)忘れないということを意識的に行う大切さも感じました。

俳句の利点は「沈黙」にあります。感情を直接詠み込まないことで、より深く届けることができます。虚子は「俳句は黙する叙情詩」と言っています。すでに虚子に言われていたことなのですが、自分にとっては、今回勉強することで、その言葉をより深く納得することができたように思います。ただ、時事詠に批判的で、「自然を見る」という虚子ですが、地震も自然の一部なのではないかという疑問も感じました。

(短歌や小説など)他の表現も調べてみて、俳句と一番似ているのは、写真なのではないかと思いました。どこから見るのか、何を見るのか、どこをクローズアップするのか、一瞬のありかたに作者の人間観、死生観が表れます。

また、報道も似たところがあります。客観報道とは言いますが、何をどこから取材・紹介するのかなど、どうしても主観が入ります。そこが(俳句と報道も)似ていると思いました。ただ、言葉の在り方として、新聞の言葉は、行間を読者の想像力で読み取らせるような言葉ではありません。やはり俳句などの詩歌の言葉とは違います。言葉の豊穣感が違います。

だじゃれではないのですが、「詩は死である」とも思いました。優れた表現とは、死を孕んだものなのかもしれません。死ぬからこそ、生のきらめきがある。死がオーバーラップするからこそ、心に迫る表現があると感じました。死に人間の本質があるのではないでしょうか。

虚子に「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」という句があります。これを虚子は「私の信仰である」と答えています。俳句は生きるよすがになる文学だと思います。自分が生きていく上での杖となる文学ではないかと思いました。



※イタック当日の数日前に入手し、今回内容を盛り込むことはかなわなかったのですが、俳人協会や現代俳句協会など俳句四協会編の「東日本大震災を詠む」(朝日新聞出版)という本も出ました。巻末には、震災を扱った主な句集、雑誌、結社誌の一覧も付いています。 
 
 
☆抄録 久才秀樹(きゅうさい・ひでき 俳句集団【itak】幹事・北舟句会)


 

0 件のコメント:

コメントを投稿