2014年4月25日金曜日

瀬戸優理子 『結婚指環』 一句鑑賞 ~青山 酔鳴~



 夫いない夜揺れている冷奴


 結婚生活がいいものか悪いものか、ひとそれぞれのものではあるが、そこにはたしかに小さなドラマが五万と眠っているものである。

 誰かと共に暮らすといえば、まずは食事。大方の結婚というものは幸せのうちに始まる場合が多いだろう。二人で、家族でいただく食事というものは毎日の小さな祝祭であることは明らかでである。
 彩りよく。バランスよく。好きなものを。嫌いなものも。美味しく。時には実験的に。食べるという行為を通してひとは学び、食べてもらうことで喜びを知り、成長していく。

 最近は一概には言えないが多くの結婚が若い時分で、料理のレパートリーも少なく、技術も未熟でコスト計算もまだできない、そんな状況で毎日食事を作ることは結構負担だったりする。自分のことを考えてみても、箱入り娘だったわたしは実家では火と包丁が危険だからといわれて台所から遠ざけられ、経験値のほとんどを家庭科の授業に因っている始末。第一次結婚時代においては某テレビの「ひとりでできるもん」などが先生だったようなものである。しあわせのなかの小さなストレス。それが食事を作る者にはあるように思う。

 掲句の「夫いない夜」はそういった厨ごとからの一時的な開放であり、冷奴が実にいい。四角四面の奴ではあるが、ちょっと冷たい奴ではあるが、夫の留守の解放感と寂しさに少し寄り添って、瑞々しく一緒に揺れてくれる。箸を入れたなら崩れ、小さな屈託など一緒に壊してくれる。もしかしたらパックのまま食べているかもしれない。正に自由。缶ビール1本つけてもいいよ。

 こうして得た一夜の自由に生き返り、明日からはまた彩りよく、夕食を準備するのだ。小さな愚痴は冷奴と一緒に飲み込んで。



☆青山酔鳴(あおやま・すいめい 俳句集団【itak】幹事 群青同人)


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