2013年7月28日日曜日

俳句集団【itak】第8回句会評(橋本喜夫)




俳句集団【itak】第8回句会評
(『やぶくすしハッシーが読む』 ~第8回の句会から~)



 
2013年7月13日
 

橋本喜夫(雪華、銀化)

 

東京の学会があり、今回のイタックは失礼させていただいた。今回も盛会裏に終了したとのことで、めでたしめでたしである。さて、全く白紙の状態でさっそく、当日の句会での俳句原稿を送付いただいたので、とっとと評を加えてみたい。例のごとく、失礼、誤読はご寛恕ください。並選を○。特選を◎とさせて頂いた。今回は特別逆選●もサービスでつけた。●はある意味、逆のベクトルの特選と思って欲しい。

 

◎恋の字の心を隠し泳ぎけり

甘―いと言ってしまえばそれまでだが、若き日好きな子を含めてグループで海へ遊びに来たとしよう。ときめく気持ちを胸にしまってただひたすら、修行僧のように泳ぎつづける坊主頭の少年が目に浮かんだ。主題は甘いかもしれないが、さもありなん、リアルでもある。作者は恋の一字に心があることを改めて気づいたのかもしれない。どうせなら表記としてにしてほしかった。そうすれば、「絡まる糸にけじめをつける」という意味も含めて面白いのでは。それに象形文字としての漢字にこだわっているという作者の意図も表出できると思う。

 

○カーテンの汚れ目につく西日かな

西日があたったカーテン、日常は気づかない汚れが、夏の強い西日をうけて、目についたという句意。よくわかるし、夏の悔恨みたいものを感じさせる。中七の表現にもう少し工夫が必要かもしれない。

 

○冷し酒露になるまえ空にする

日本酒を冷やした酒壜の表面に露が結びまえにすべて飲み干してしまおうという句意にとれるし、もうすぐくる露の季節を前に夏を楽しもうという気分もあるだろう。冷し酒の句として少し変わった視点の句である。

 

○泳ぐなりひたすら己が影を追ひ

海での水泳ではないでしょう。プールで必死に泳いでいる景。たとえばクロールで泳ぐ場合プールの底に己が影が映るのを見ることがある。まだ余裕なく泳ぎ、必死にゴールを目指しているときにはこのような経験はリアルであり、共感できる。
 

○ファックスに黒い蝶々がまぎれこむ

ファックスの印刷に黒い汚れ、シミがつくことはよく認められる。それを黒い蝶とメタファーした。ただそれだけではあるが、まるでそのファックスの内容までメタファーしているような、深読みをさせる俳句でもある。
 

○セロファンと硝子の間空蝉は

これも空蝉、セミの殻の質感をセロファンと硝子の中間くらいであると定義している。質感としてのあやうい感じをあやうい断定で面白くしている。
 

○紫陽花はきつと二日酔いを知ってる

この断定も面白い。十分に納得させる断定ではないが、だからこそ面白い。見立ての句は独りよがりがよいのである。もちろん紫陽花は七変化でもあり、顔色もくるくる変わるし、二日酔いを知ってるかもしれないのである。
 

○萍やわかりましたとすみません

やで切れているので、取り合わせなのであるが、浮き草のなかにはいろんな顔つきや、風情のやつらがいて、その中で少し水に埋没して「すみません」と言ってるやつや、全長すべて浮かべていて「わかりました」と言ってるやつらもいる。そんなふうにみると、浮き草の景もわれらの職場や社会の景に似ている。部下のなかには確かにこの二言しか言わないやつもいる。
 

◎月涼し碧き絵具を指で溶く

一読気持ちのよい句である。月涼しの季語の斡旋のよさであろう。俳句は季語で70%決まると、かの藤田湘子がテレビで言っていたが、その通りかもしれない。残りの十二文字を「碧い絵具を指で溶く」という具象的な景を持ってきたのも成功した理由である。碧い絵具たとえば水彩でもよいが、指でさーっとなぞると、描かれる淡い夜の闇の景が夏の月を気持ちよく浮かび上がらせる。
 

○夏椿私を捨てて朝が逝く

夏椿は6月頃、山地に咲く自生の落葉高木。白い花を一個一個咲かせて、開花してすぐ散るのが特徴である。おそらく私を捨ててと表現しているから、すぐ散ってしまった景を詠んだのではないか。もちろん夏椿で切れて、みずからの心象風景を詠んだともとれる。朝が逝く がフックの効いた言葉である。
 

○渦巻のタイムマシンに火を着ける

季語がないなどと無粋なことは言わない。蚊取線香を渦巻のタイムマシンと呼んだ。それだけで佳いではないか。3歳の童のような比喩がとても効いている。確かに子供の時、寝る前に蚊やりに火を着けるとき、これから一晩の間の未来を守ってくれる心強い、眠りの旅の味方のような気がしたものである。
 

○炎天にレンガ煙突たぢろがず

炎天にレンガ煙突をもってきた、素材の良さを頂いた。ただたぢろがずだとそのままになってしまう。私の生家は銭湯で、幼少時しばらくの間はレンガ煙突であった、それゆえとても共感したのであるが、やはり「たぢろがず」が問題だと思う。たぢろいだほうが面白いと思う。「ゆらゆらす」でも佳いのだ。
 

○しほさゐや夙(つと)に蜂起の雲の峰

海の近く、潮騒を聴いている作者がいる。沖に目をやると早朝からすでに不穏な雲を見ている。すでに蜂起をはじめているように見える。雲の峰の不穏さと、字面からいう夙という字の不穏さ。潮騒という気持ちのよい景からの展開の速さがよい。
 

○電車待つ海霧迫りくるホームにて

何気ない景の切り取りなのであるが、やはり不穏な景である。説明的な中七以下が興をそぐ感じはいなめないが、電車待つというとても普通の動作が逆に説明くささを相殺して、リアルなものに仕上げている。白糠駅や、昆布森駅、別保駅などを思い出す景だ。
 

○花茣蓙や乳房たちたわわに笑へ

花茣蓙に座って、豊満な乳房を並べて元気に笑っている景は確かに見える。がやはりこれは夏まっさかりの景として肯える。そういう意味で西東三鬼の句を思い出すことができるが、やはりテクストとしての「おそるべき君等の乳房」のフレーズが気にならないわけではない。それと「たわわ」があまりに安易ではなかろうか。確かに私ごのみの句材ではあるが...もっと何とかなる。もっと良くなる句である。
 

●フライミートウザムーン不義の恋にも飛ぶべし乙女

さすがitakである。まだこんな無茶するやつがおったか!という感じ。私の逆選はこの無茶なチャレンジ精神にたいするオマージュである。「私を月へ連れて行って」という真っ当な恋の歌詞に、七七をつけた。むしろ短歌的抒情である。作者はfly me to the moonを3音で読み下し、あとを14音でつけたつもりだろうが、無理がある。全うな恋に不義の恋を並列して、しかも乙女に不義の恋をけしかける毒も内包している。毒を内包している点は川柳的発想もある。発想の面白さがあるが、表現したいことを全部表現するなら他の詩型を選択すべきであろう。なお、エヴァンゲリオンに関連している歌だそうだが、私には関係ない。

 
 
※今回の句会評は 『やぶくすしハッシーが読む』 ~第8回の句会から~を兼ねるものといたします。作者の披講は別途記事にて。
お盆前進行でブログがゆっくり進行となっております。次回は人気五句、以降は投句・選句の一覧の公開の予定です。悪しからずご寛恕くださいませ(事務局)。

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