『やぶくすしハッシーが読む』(その4)
~第4回の俳句から~
橋 本 喜 夫
はちみつの瓶の白濁冬に入る
これはうまくできている句だ。中七までもH音をたたみかけて、秀逸であるし、最後もH音の冬に入るという季語を選択している。音調も季感もぴったりである。うまくできすぎて、類句が過去にないか心配になるくらいに。
木枯や黒鍵で弾くプレリュード
うまい句がならんでいる。黒鍵を素材にした句はときどきみるが、その中でも秀逸な一句と思う。木枯し、プレリュードの組み合わせはあるかもしれないが、黒鍵で弾くが素晴らしい。間違いなく今回の秀句のひとつであろう。
歩き過ぎたるポケットの木の実かな
この句はひたすら「歩き過ぎたる」が良い。なぜ歩きすぎたか、考え事をしていたせいか、何も語っていないが、余白があるし、歩きすぎたと人間が思うときの少しの後悔と、追憶と、満足感みたいな そんなものがすべてポケットに潜んだ木の実に集約している。
月天心原発炉心眠りをり
こういう句もあっていいと思う。場合によって見飽きたというひともあるかもしれないが、いつも心のどこかにおいて作句するという俳人の態度が大事だと思う。炉心という措辞と天心という措辞を使いたかったと思われるが。大成功はしていないようだ。
汚れなき冬天シースルーエレベーター
シースルーエレベーターに居るときの身体感覚がうまくでていると思う。汚れなきが少し過剰に感じるが、ここがこの句のコアでもある。シースルーエレベーターの措辞を使ったことで、言いたいことは限られるから。
てのひらを開けば重い冬がある
掌をひらくという行為から何が言えるだろうか。ふつうは外界にひらくわけであるから、重くれではなく、明るい解放感がうまれるだろう。それを逆手にとった句である。人間心を開けば開くほど、逆に重くて暗いものに突き当たることはあるであろう。重い冬というふつうなら成功しないあいまいな表現が、物に即していない表現がこの場合見事に成功している。掌をひらくという復元可能な映像があっての、たまものであろう。
消毒のにおいも消える蜜柑かな
意外にこのような蜜柑の句はないのではあるまいか。類句がないかもしれない。内容はただごと俳句だが、出来上がった句はただごとではない。そんな偶然を生むのも俳句の恩寵かもしれない。
鮟鱇の苦もなく溶けてゐるひとひ
ひとつひとつは意味が通っているが、全体をとおすと?マークがならぶ句。橋間石風のつくりである。人間毎日のつらい生活、苦もなく溶けている一日がある。たとえばそんな一日を鮟鱇の一日にメタファーしたとすれば意味が通るであろう。、もちろん鮟鱇食べたことあればわかるように、とろとろに溶けている感覚あります、とくに鮟肝は。そして人間も溶けてしまいたいときあります。
(おわり)
<俳句集団【itak】より、明日の『俳句ギャラリー』の掲載のお知らせ>
先月から始めました【itak】句会参加者のみなさんの投句による『俳句ギャラリー』では
明後日12月13日(木)、第四回の可愛い見学者からいただきました俳句を公開いたします。
是非ともご高覧くださいませ。
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