ここでは『イギリス鳥類誌』から、「ひばり」の水彩による下絵(上図参照 William Wordsworth and the Age of English Romanticism, Great Britain, 1988)と、木口木版による白黒の挿絵を見た。
5.
ロマン派の詩人P. B. シェリー
(1792-1822)の「ひばりに寄せて」(1820)と
「西風に寄せる歌」(1819)について。
「西風に寄せる歌」(1819)について。
思想活動家でもあったシェリーは、五行詩21連(スタンザ)からなる「ひばりに寄せて」で、「陽気な精よ、おまえは鳥なのか、精なのか・・・」(1連)と問いかけ、「どんな美しい思い出を持っているのか」(13連)、「目ざめても眠っていても、死について人間が夢みるよりも真実な深いものを考えているに違いない」(17連)、「人間は、前を見、うしろを見て、ないものにあこがれる・・・もっとも楽しい歌は、悲しい思いをうたうもの」(18連)と、揚げひばりに霊性を見て、美しい歌声の背後に目に見えない深い真実があることに思いを致している。
なお、夏目漱石は『草枕』(1906、明治39年)のなかで、「落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違ふのかと思った」とひばりの動きを描写したあと、「(雲雀は)魂全体が鳴くのだ・・・魂の活動が声にあらはれたもののうちで、あれ程元気のあるものはない」と言ってシェリーのひばりの詩の第18連5行を原文で引用した。
We look before and after/
And pine for what is not:/ Our sincerest laughter/ With some pain is fraught;/
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前を見ては、後(しり)へを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、わらいといへど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」(『全集』第3巻、7)
さらに10年前の明治29年には、「落つるなり天に向かって揚雲雀」という句を作って正岡子規に送っている。漱石のひばりへの思い入れが感じられる。その年は、松山から熊本に移る前の年であり、「ホトトギス」創刊の前の年でもあった。
シェリーが1819年秋、イタリア滞在中遭遇した嵐に着想を得たという「西風に寄せる歌」では、「いずこにも吹きゆく力強い<精>よ / 破壊者にして保護者なる西風よ」といって、秋には木々を枯らし、春には芽吹きを促す西風の両義性に季節の循環を重ね、さらに反体制の立場をとる自分自身の姿をも重ねて、「・・・わたしの言葉を /(新生をうながすために) 人類のあいだにまき散らせ!/わたしの口をとおして
目ざめぬ大地に/予言のラッパを吹きならせ!おう 風よ/冬来たりなば、春は遠からずや」と、その後よく知られるようになった成句で終る(上田訳『シェリー詩集』、75-80)。
当時の英国画壇のアカデミズム中心主義に反旗をひるがえしたW. H. ハント(1827-1910)、J. E. ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)らが、自分たちの理想をラファエル以前のイタリア壁画に見出して、1848年ロンドンで結成したのがラファエル前派の運動だった。当初は批判も多かったが、美術批評家のジョン・ラスキン(1819-1900)の擁護を得て、ロセッティを中心に活動の場をひろげ、英国でのジャポニズムの流れとも連動してゆく。
ここでは、ロセッティの「受胎告知」(1849-50)と「浄福の乙女」(1875-9)に描かれた百合の絵(上図参照。The Lady Lever Art Gallery、1996)をみた。後者はロセッティが1850年に書いた同名の詩のために描いた絵である。詩は次のように始まる(6行詩、全24スタンザ)。
天上の紫磨黄金の手欄より/浄福の乙女は外へ身を凭せ。/眼は深く、夕まぐれ、しづやかに/凪ぎわたる海の深みにまさりけり。/その手には三つの百合の花をもち、/髪の中、星は七つを数へたり。(竹友藻風訳)
この詩は、中世ロマンス風の流れを汲んでおり、恋人の死、百合の花、天上と地上の「時」の違いなどを鍵にしている。漱石はこの詩から『夢十夜』(1908)の「第一夜」を構想した。「こんな夢をみた」で始まる「第一夜」は、恋人が「(また逢いにくるから)百年、私の墓の傍に座って待っていてください」と言い残して死ぬ。待つ約束をした男は、待っても待っても何も起こらないので、女にだまされたのではないかと疑い始める。すると、墓から青い茎が伸び、その頂に「真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った」ので、「百年はもう来ていたんだな」と気づく(『夢十夜』9-11)、という夢の話である。
7.風の表象と
クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)の「風のうた」について。
西欧の風の表象の一例として、岩波新書のタイトルページの四隅に見られる東西南北の風の図像(岩波新書1000号までがわかりやすい。1001号以後は装幀が変わる)を見る。
ダンテ・ゲイブリエルの妹クリスティーナ・ロセッテイは、詩人で「ラファエル前派」の運動にもかかわっていた。詩集Sing-Song(1872)
には、よく知られた「風」のうたがある。クリスティーナの詩には、母性的、かつ教え諭すような特徴がみられる。日本では西条八十訳(1921年「赤い鳥」に発表)、草川 信作曲の唱歌でよく知られている。
誰が風を見たでしょう/僕もあなたも見やしない/けれど木の葉をふるわせて/風は通り過ぎてゆく(『日本唱歌集』、209)。
8.
英国伝承童謡(マザー・グース)の「月に棲む男」の月の寓意について。
英語で月を表すlunaという言葉は、月の満ち欠けに影響されると考えられた狂気(lunacy あるいはmad)の意味を含んでいる。17世紀後半からは、ロンドンのベドラム精神病院の歴史をふまえて、”New Mad Tom of Bedlam or The Man in the Moon” とも呼ばれた。
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The man in the moon/ Came down too soon/ And
asked his way to Norwich ;
He went by the south, And burnt his mouth/ With supping cold plum porridge.
He went by the south, And burnt his mouth/ With supping cold plum porridge.
(The
Oxford Dictionary of Nursery Rhymes, 294)
日本では月に「杵を振り上げた兎」を見るが、西洋では「野茨の束をもった農夫」を見る。より古いものでは、野茨の束で破れた垣根を直そうとするが、盗んだ野茨の束だったため、仕事が進められず、「突っ立って大股にすすむ」という矛盾した姿勢、つまり静止状態に陥る、という内容のものもある。
9.イェイツの「詩と象徴主義」
W. B. イェイツ(1865-1939)は、「詩と象徴主義」(1900)のなかで、バーンズの「私に戸をあけてくれ、おお!」(1793)の詩を引き合いに出してシンボリズムを説明している。
白い月が白い波のかなたに沈んでゆく、/そして時は私とともに沈んでゆく、おお!
偽りの友よ、偽りの恋人よ、さようなら!/みんなの心を煩わすことはもうない、おお。
(’Open The Door To Me Oh’ The Complete Poetical Works,
485)
この詩は、寒さに苦しむ男が、わたしを哀れんで戸を開けてください!と頼むが果たされず、偽りの友や偽りの恋人にむかって「もうみんなの心を煩わすことはない、さようなら」と告げて立ち去る。彼女が戸を開けたときには、野原で彼が冷たい屍になっており、かたわらにうずくまった真の恋人は二度と立ち上がらなかった、という物語性のある詩である。イェイツは、月と、波と、白さと、沈みゆく時と、最後の憂愁の叫びの組み合わせが、ひたすら感情の喚起をうながしているとして、シンボリズムの手法の好例と見ている(『筑摩世界文学大系』71巻、59)。
イェイツのこの象徴主義の考え方は、岡崎義恵が中世象徴詩人、正徹の短歌の様式を論じた「日本詩歌に現はれたる気分象徴」のなかで用いた「気分象徴」(岡崎、『日本文芸学』646-8)に通じるように思う。
なお岡崎は『近代の抒情』の中で、俳句はもともと一行詩であるのに、フランスなどで三行詩と解しているのはどうか、と疑念を示している。(『近代の抒情』、203)。
10.
イマジズム運動とエズラ・パウンド(1885-1972)
1908年F.R. フリント(1885-1960)が、『刀と花の歌』の書評を書き、荒木田守武(1473-1549)の発句「落花枝にかへると見れば胡蝶かな」の英訳
” A fallen petal / Flies back to its branch: / Ah! A butterfly”
を紹介した(『エズラ・パウンド詩集』、385-6)。
パウンド
は、1908年ヨーロッパに渡り、フリント、オールディントン夫妻、T.E. ヒュームらとイマジズム運動に加わり、次のようなイマジズムの原則を発表した。1)日常語の的確な使用。2)新しいリズムの創造。3)題材選択の完全な自由。4)明確な映像の写出。5)輪郭の鮮明さ。6)集中法の重要性(斉藤 勇『アメリカ文学史』、p.177)。
パウンドの「地下鉄の駅で」(1912)は、イマジズムを代表する詩と言われている。
「地下鉄の駅で」
人混みのなかのさまざまな顔のまぼろし/濡れた黒い枝の花びら(新倉俊一訳)
1911年、W.B.イエーツ(1865-1939)とパリ観光をしていたパウンドが、地下鉄の駅を出たところで、美しい女性と子どもの顔に出会った。その一瞬の強烈な印象を表現しようと30行の詩にするが破棄、半年後に15行の詩を書くがそれも破棄、一年後荒木田の発句を念頭におきながら2行の詩にした。パウンド自身「hokku(発句)のような詩」と言っていた。
11.
小西甚一の『日本文芸の詩学』
小西は、芭蕉の「海暮れて鴨の声ほのかに白し」の「声・・・白し」のような描写に蕉風の新しさを見て、これは欧米の批評用語で共感覚(synaesthesia)と呼ばれるもので、芭蕉発句の特筆すべき点であると言う(小西、『日本文芸の詩学』、109)。ここでは作者の心情は直接には言い表されない。
12.
ドナルド・キーン
キーンは、主題を表示しない日本の詩の特性を、「総体的には曖昧ながら、イメージにおいては、まざまざと具象的である」と言い、芭蕉の「雲の峯幾つ崩れて月の山」についても、「西欧の詩人はここに自分の意見を必ず付け加える」と言っている(小西、86)。
ここまで大まかに詩を中心に見てきた。そうして見えてきたことは、西欧の詩はスタンザをかさねて構築してゆくのに対し、俳句は素材を削ぎ落として究極の十七文字にしてゆく。それゆえ俳句は、西欧の詩人のように自分の意見を添えることなく「花鳥風月」に仮託して表現するのではないだろうか。
引用&参考文献
上田敏、『上田敏全訳詩集』、「花くらべ」、岩波文庫、1975, p.80.
小田島雄志訳、『冬物語』、「シェイクスピア全集」V、白水社、1978、p.398.
ブレイク、W.,『ブレイク詩集』、「イギリス詩人選」(4)、松島正一編、岩波文庫、pp.107-8.
バーンズ、R.,『バーンズ詩集』、中村為治訳、岩波文庫、復刻版、2007, p.159.
シェリー、P. B.,『シェリー詩集』、p.75, 96.
ロセッティ、D.G.,『竹友藻風選集』第2巻、訳詩「浄福の乙女」、南雲堂、1982, pp.504-8.
夏目漱石、『夢十夜』、「第一夜」、岩波文庫、1986、p.7-11.
パウンド、E.,『エズラ・パウンド詩集』、新倉俊一訳、角川書店、1976、p.385-6.
イェイツ、W.B., 「詩の象徴主義」、『イェイツ・・・』、筑摩世界文学大系71、筑摩書房、1975.
岡崎義恵、『日本文芸学』、岩波書店、1935;『近代の抒情』、宝文館、1969.
小西甚一、『日本文芸の詩学』、みすず書房、1998. (2012/6/20, CKumiko Taira)
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